時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

モーセの約束の地「カナン」を望むネボ山

2015年2月、やってきたのはヨルダンです。

 

行ってみたいと思っていた国ではありましたが、いつもながらの「安かったから」で来ちゃいました。安いのも当たり前。ヨルダンのお隣の国シリアのアレッポで2名の日本人がISILとみられる過激派武装集団に拘束され、殺害されるという痛ましい事件が起きたばかりだったのです。アメリカ人とイギリス人以外の民間人の人質がISILに殺害されたケースは初めてだったので、世界中に激震が走り、ニュースは毎日その話題で持ち切りでした。もちろん、ISILがドンパチやっているのも、外務省が渡航を禁じているのもヨルダンではなくシリアです。でも、隣の国に行くなんて家族には言いにくい・・・。というわけで、家族や職場にはドバイに行くと言って(もちろんドバイも経由したけど)、恒例のFacebookでの「行ってきます宣言」もしないままコソッとやってきたわけです。

 

ドバイで乗り継いだエミレーツ航空の飛行機はヨルダンの首都アンマンの南にあるクイーンアリア国際空港に到着しました。この空港の名前は前国王フセイン1世の第3王妃だったアリア妃にちなんでつけられたものです。ちなみにアリア妃は1977年の飛行機墜落事故で死去されています。アリア妃はお気の毒で何の罪もありませんが、縁起を気にする日本人にしてみれば、空港の名前としてどうなのよ?と思わないでもありません。f:id:greenbirdchuro:20190726210411j:plainf:id:greenbirdchuro:20190726210415j:plain

 

そんなクイーンアリア国際空港で思いもよらぬ理由で足止めにあいました。家族に嘘をついた罰でしょうか。この日のヨルダンは、まさかの大雪。雪なんて滅多に降らないからヨルダン国内に除雪車なるものは1台もないらしく、数十年ぶりの大雪で国内交通は完全麻痺しています。ちょっとの雪で交通が麻痺するのは東京も同じなので文句なんて滅相もありませんが。ちなみに、ヨルダンでは雪が降るとその日を祝日にしてやり過ごすとか。小池都知事よ、是非とも東京都でもこのシステムの採用を検討してほしい!f:id:greenbirdchuro:20190726210419j:plain

 

どうにもこうにも身動きが取れなかったので、アンマン市内で1泊する羽目になりました。雪が止んだのでせめて市内観光でも・・・と思ったのですが、ホテルの目の前の小さな商店に行くのがやっとの状態でした。f:id:greenbirdchuro:20190726210423j:plain

 

翌日、雪に埋もれたアンマンをなんとか脱出し、キングス・ハイウェイを南西に向かって走ります。死海東岸の丘陵地帯を走るキングス・ハイウェイは、モーゼの出エジプト伝承の頃から知らる「王の道」。ところが、ここがメインロードだったのはずっと昔の話で、実際にはハイウェイとは名ばかりの田舎の一本道でした。丘や谷を何度も越えて小さな村々を縫うようにして向かった先は、ヨルダン王国にある最も重要な聖地といっても過言ではないネボ山でした。

 

ネボ山の入り口に比較的新しい記念碑がありました。カトリックの大聖年にあたる2000年に聖地を巡礼していたかつての教皇ヨハネ・パウロ2世がここを訪れたのを記念して建てられたものです。記念碑に刻まれた「UNUS DEUS PATER OMNIUM SUPER OMNES(お独りの神、万民の父が万民の上にいます)」という文言には宗教の違いを超えてこの中東の地に平和が訪れることを願った元教皇の祈りが込められています。f:id:greenbirdchuro:20190726210718j:plain

 

たかだか標高802mしかないネボ山を目指して世界各国から多くの人々が訪れるのは、ここが預言者モーセの終焉の地「ピスガの山頂(申命記)」とされているからです。モーセという名前を知らなくても、映画「十戒」の中で海を割って道を作った人と言えばピンとくるかと思います。モーセは、かつてファラオに虐げられたヘブライ人を率いて「出エジプト」を果たし、彼らを約束の地カナンへと導きました。その約束の地を眺めながら息を引き取ったとされるのがこの場所です。イスラム教国家にキリスト教の聖地があるなんて違和感がありますが、モーセは、イスラム教の預言者の1人でもあるので、ネボ山はキリスト教徒だけでなくユダヤ教徒イスラム教徒にとっても聖地なんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190726210722j:plain

 

 

山頂にある銅の十字架は、イタリアの彫刻家ジョヴァンニ・ファントーニの作品です。この十字架は、キリストが磔になった十字架を表すと同時にモーセが神の命で作って掲げていた「ブロンズの蛇」をも表すと言われています。聖書によると、ブロンズの蛇を見た人々は毒蛇にかまれても死ななかったそうです。十字架の向こうに広がっているのがヨルダン渓谷です。f:id:greenbirdchuro:20190726214409j:plain

 

ネボ山の展望スポットからは、死海エルサレム、エリコ、ベツレヘムなどを見渡すことが出来ます。眼下に広がる緑豊かな土地は、延々と砂漠を進んできたモーセたちにとって神から与えられた約束の地に相応しい天国みたいなものだったはずです。実はモーセは、かつて犯した罪のために約束の地に足を踏み入れることができませんでした。120歳のモーセは、約束の地をどんな思いで眺め、息を引き取っていったのでしょうか。120歳という年齢に思うところもありますが、ここはスルーしておきましょう。f:id:greenbirdchuro:20190726210744j:plain

 

左側に見えているのが死海です。写真ではうまく伝えられませんが、死海は標高マイナス400mなので、ネボ山の展望台との標高差は1200mになります。右側からヨルダン川死海に流れ込んでいるのがなんとなくわかります。エルサレム岩のドームが見える時もあるんだとか。f:id:greenbirdchuro:20190728213816j:plain

 

ヨルダン川西岸に広がっているのが、旧約聖書にも名前の出てくる世界最古の街エリコです。肥沃な三日月地帯にあるこの街は世界で最も早く農耕が始まった土地の一つとされています。ちなみに世界で最も標高の低い街でもあるんだとか。f:id:greenbirdchuro:20190726213217j:plainf:id:greenbirdchuro:20190726210949j:plain

 

 

ネボ山の山頂では、モーセの死を偲んで建てられたという4世紀後半のバシリカ様式の教会と修道院の遺跡が見つかっています。この近代的な造りのモーセ記念教会はその遺構を保護するために建てられたものです。残念ながら、この教会は2007年から修復工事中で、内部に入ることができませんでした(修復工事は2017年に終了)。f:id:greenbirdchuro:20190726211652j:plain

 

教会は修復工事中でしたが、ここの目玉の1つでもある床のモザイク画は、教会の敷地の外に仮小屋を設置して公開されていました。このモザイク画は、531年に製作されたもので、ビザンチン時代の教会跡の床下から発見されました。
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ネボ山近くのAbo Bado(アブー・バド)と呼ばれる小さな村のビザンチン修道院の入り口を塞ぐためにドアとして使われていた石です。人の背丈よりも大きいので、いくらドアだとわかっていてもこれで入口を塞がれたら恐怖を感じてしまいそうです。f:id:greenbirdchuro:20190726211310j:plain

 

キリスト教徒でもユダヤ教徒でもないわたしでさえも何か感じるところがあったモーセの終焉の地。信者にとっては流涙ものの聖地であることは間違いありません。40年も約束の地カナンを求めて砂漠を彷徨ったモーセがカナンに入ることが出来なかったことには同情を禁じえません。

 

次はマダバの街に向かいます。

 

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