時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

トランスフォーマーのロケ地にもなったペトラ遺跡

目の前が広場のようになったエル・ハズネから再び短めのシークを抜けるとアウター・シークと呼ばれる広い通りにでます。40以上の墓が神殿のファサードのように並ぶファサード通りが見えてきました。どのファサードも屋根が階段状に装飾され、下部には地面に埋もれかけた長方形の入り口が口を開けています。このデザインは紀元前7~6世紀のメソポタミアアッシリア帝国の影響が見られますが、墳墓だと考えられているこの遺構自体はもっと古いもののようです。外壁には見事なレリーフが刻まれていますが、内部は立方体に岩を切り出しただけの空間でレリーフや壁画といった装飾はありません。墓の上部が階段状になっているのは、この階段で天国に昇っていくというナバタイ人の死生観を表したものだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190802230307j:plainf:id:greenbirdchuro:20190802230317j:plain

 

ペトラ初期のものと考えられる岩山の岩窟墓群は、ごく最近までベドウィンの居住地だったそうです。彼らが煮炊きするための焚き火のススで洞窟の内部は黒ずんでいました。1985年の世界遺産登録以来、ユネスコとヨルダン政府は遺跡内に住むベドウィンに移住を促してきましたが、実は今も現地に住み続けている人がいるようです。正直なところ、あちこちで食事の支度をしているベドウィンを見かけるので、仕事に来た人が食事をしてるだけなのか、ふだんから住んでいるのかは見わけがつきません。ここで生まれ育ったベドウィンが出て行きたくない気持ちも理解できる気がします。f:id:greenbirdchuro:20190802230320j:plain

 

ローマ円形劇場も、岩窟墓群と同じように岩をくりぬいて造られています。比較的柔らかいとされるペトラ近郊の岩は加工しやすいそうですが、それでもこれだけの規模の劇場を作るとなるとかなりの労働力が必要だったと思います。建造時期には諸説がありますが、1世紀にナバタイ人が造ったものを基礎として、ローマ人が柱などを増築したと考えられています。f:id:greenbirdchuro:20190802230520j:plainf:id:greenbirdchuro:20190802230523j:plain

 

歴代の王の霊廟ではないかといわれている王家の墓の全体像です。遠くから見ても、色々なデザインのものが混在しているのがわかりますが、いずれも1世紀頃に建造されたもののようです。左側から宮殿の墓、コリント式の墓、シルクの墓、壺の墓と並んでいます。f:id:greenbirdchuro:20190802230924j:plain

 

左側の細かい縦縞模様の入ったファサードを持つ比較的小ぶりな墓がシルクの墓です。右側にある壺の墓は、ナバテア王の墓として造られ、後の5世紀にはキリスト教会として再利用されていました。肉眼での確認はできませんでしたが、エル・ハズネの納骨壺みたいな飾りがあることから名付けられたようです。f:id:greenbirdchuro:20190802231307j:plain

 

左奥の墓は、バロック式宮殿のようなファサードをもつことから宮殿の墓と呼ばれています。2階まではペトラ内の他の遺構と同じように岩を削り取って造られていますが、その上に3階部分が付け足された例外的な造りのために階のある墓とも呼ばれているそうです。その手前にある墓は、エル・ハズネにそっくりのコリント式の柱が並んでいることからコリント式の墓と名付けられています。f:id:greenbirdchuro:20190802231535j:plain

 

かつてのメインストリートである柱廊通りを歩きながら、振り返ると先ほど通った王家の墓が見えています。こうしてあらためて見てみるとエジプトのピラミッドにも引けを取らない立派なお墓です。地震の多いエリアなので周囲の建造物はほとんど崩壊してして、大きなものしか確認できませんが、この5〜6m幅の大通りの両サイドには商店等が並んで賑わっていた様子が目に浮かぶようです。f:id:greenbirdchuro:20190802232233j:plain

 

左手に、ペトラ遺跡の中で最大規模の遺構である大神殿が見えてきました。階段の先は広場になっていて、その上の階が神殿になっています。列柱の様子からローマ帝国の併合時代のものかと思いましたが、それよりもずっと古い時代の1世紀末頃にナバタイ人が建造したものです。5世紀のビザンチン時代まで神殿として使用されてきましたが、地震で瓦礫と化して長く土石に埋もれてきました。発掘されたのは、1992年とごく最近のことだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190802231655j:plain

 

柱廊通りを深部に向かって進んでいくと2世紀のものと思われる凱旋門(メテナス門)が残っていました。かつては、この門に木製の扉があったそうです。f:id:greenbirdchuro:20190802232131j:plain

 

凱旋門をくぐった先の列柱通りの最西端にあるカスル・アル・ビントは、「ファラオの娘のための宮殿」という意味ですが、ナバタイ人の神ドゥシャラーを祭った神殿です。これも1世紀頃のものだと考えられています。f:id:greenbirdchuro:20190802231927j:plain

 

ここから山道を登ってペトラ遺跡の最深部であるエド・ディルを目指します。ロバタクシーの勧誘を振り切って歩き始めました。f:id:greenbirdchuro:20190802232647j:plain

 

エド・ディルまでの山道は、800から900段の長〜い長〜い階段になっています。800から900!?そこは大事なとこなんだよ!と声をあげたくなりますが、そこを歩けば、階段の形を成していない砂や石の坂道部分が多いので、段数を正確に数えるのが無理なことに納得せざるを得ません。f:id:greenbirdchuro:20190802232919j:plain

 

断崖絶壁のようなところも通ります。日本なら余裕で立ち入り禁止になりそうな場所に、策や塀も設けられていません。何度かロバタクシーの誘惑に負けそうになりましたが、落馬(落ロバ)でもしたら、命の保証はないような景色が広がっています。f:id:greenbirdchuro:20190802232624j:plain

 

こんなところでどうやって生きているのかわからないけど、道中で何匹も猫を見かけました。人懐っこく後をついてくるので、普段から餌付けされているようです。休憩を挟むと再起不能になりそうだったので、猫とともに休まず歩いて40分ほどで登頂に成功しました。f:id:greenbirdchuro:20190802232750j:plain

 

気の遠くなる数の階段を登りきった先にヨルダン・ペトラ遺跡の最深部にあるのエド・ディル(修道院)が見えてきました。エル・バズネのような細かい装飾はありませんが、高さ45m・幅50mとエル・ハズネよりもひと回り大きな遺構です。紀元1世紀頃のナバタイ王国末期に建てられた神殿と考えられていますが、ローマ帝国に併合された時代に修道院として使われていたことが名前の由来になっています。ちなみに、こちらは映画「トランスフォーマー / リベンジ」の撮影地としてもお馴染みです。f:id:greenbirdchuro:20190802232629j:plain

 

シンプルな神殿の内部は、「トランスフォーマー/リベンジ」でオートボットのツインズが大喧嘩したあのシーンの舞台です。彼らの取っ組み合いのおかげで、壁が壊れて中に隠された秘密のアイテムを見つけることができたんですが、CGとは言え、彼らが豪快に建物を交わすシーンには冷や冷やしました。このシリーズのファンとしては、世界遺産での映画撮影を許可しただけでなく、架空とは言え破壊シーンが映像として流れることにストップをかけなかったヨルダン王室の寛容さには感謝しかありません。f:id:greenbirdchuro:20190804210926j:image

 

ペトラ遺跡は、2007年に新・世界七不思議にも選ばれています。未だに解明されていないことが多いので、ガイド本によっても遺構の建造時期や使用目的などの解説内容にくい違いがあります。いつかその全容が解明される時が来るのかもしれませんが、未知の要素が多いからこそ、ナバタイの人々や遺構の辿ってきた歴史への想像が一層掻き立てられます。七色に変化する岩肌を眺めながら歩くだけで、冒険の真っ只中に自分がいるような気がして、最後までワクワクしっぱなしでした。

 

これからアンマンに向かい、そのまま夜のフライトでドバイを目指します。

 

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