時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

中東

ドバイで寄り道とアリバイ工作

アンマンから帰国のために搭乗した飛行機の乗継時間を利用してドバイ観光です。 数十年前まで遊牧民が暮らす砂漠地帯だったドバイは、石油の発掘とともに、あっという間に世界有数のリゾート地となりました。なんと年間約1,500万人を超える観光客が訪れるそ…

トランスフォーマーのロケ地にもなったペトラ遺跡

目の前が広場のようになったエル・ハズネから再び短めのシークを抜けるとアウター・シークと呼ばれる広い通りにでます。40以上の墓が神殿のファサードのように並ぶファサード通りが見えてきました。どのファサードも屋根が階段状に装飾され、下部には地面に…

インディ・ジョーンズで見たペトラ遺跡

ヨルダンに数十年ぶりに降った大雪のせいで、ほとんど諦めかけていた今回の旅のハイライト「ペトラ遺跡」にやってきました。旅程を変更して粘った甲斐があって、夜には帰国便に乗らないといけないので、時間は限られていますが、帰国直前にして最初で最後の…

イスラエルからペトラ遺跡を目指して再びヨルダンへ

イエスが頻繁に祈りのために訪れていたというゲッセマネの園はオリーブ山の麓にあります。現在まで受け継がれているオリーブの木は8本だけですが、かつてのこの辺りは一面のオリーブ畑でした。盛んにオリーブオイルの精製が行われていたため、ヘブライ語で油…

イエス・キリスト生誕の地「ベツレヘム」

朝早くにベツレヘムに向かいました。ベツレヘムは、ヨルダン川西岸地区南部にある3万人超が暮らすベツレヘム県の県都です。第3次中東戦争以降、イスラエル占領下にありましたが、1995年にパレスチナに返還され、現在はパレスチナ自治政府が治めています。未…

 イエスの歩いた最後の道「ヴィア・ドロローサ」

イエスが処刑された当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にありました。ユダヤ教徒ではない総督のピラトにとって、イエスのキリスト自称など取るに足らないことでしたが、ユダヤの指導者たちに扇動された群衆を納得させるためにはイエスの処刑を認めざるを…

嘆きの壁にみる悲しきユダヤの歴史

シオン門をくぐった旧市街の南西部はアルメニア人地区です。アルメニア料理のお店やお土産物屋さんが並んではいますが、人通りも少なくとても静か。アルメニア人地区がキリスト教地区・イスラム地区・ユダヤ人地区と並ぶエルサレムの4地区に数えられることが…

ダビデ王の墓と最後の晩餐の部屋があるシオンの丘

エルサレム旧市街の南西のシオン門の外の一角はシオンの丘と呼ばれています。真っ先に思い浮かぶのは、イスラエル建国の父ヘルツルが起こしたシオニズムですが、シオンとはエルサレムの古い呼び名です。ヘルツルがヨーロッパ中のユダヤ人に「祖先の土地シオ…

死海とヨルダン・イスラエル国境超え

次の目的地はペトラのはずでしたが、ペトラに向かうハイウェイは相変わらず不通のままだし、雪に埋もれたアンマンに戻っても仕方ないので、目的地を変更して死海に向かうことにしました。死海近辺に積雪がないのはネボ山からも確認済みだし、死海を眺めなが…

モザイクの街マダバで見た世界最古のマダバ地図

ネボ山の次に向かったのは10kmほど南東に位置するマダバという地方都市です。マダバは、マダバ県の県都で約60,000人の人が暮らすヨルダンで5番目に大きい街、そして「モザイクの町」として知られています。アンマンからそれほど離れていないというのにマダバ…

モーセの約束の地「カナン」を望むネボ山

2015年2月、やってきたのはヨルダンです。 行ってみたいと思っていた国ではありましたが、いつもながらの「安かったから」で来ちゃいました。安いのも当たり前。ヨルダンのお隣の国シリアのアレッポで2名の日本人がISILとみられる過激派武装集団に拘束され、…

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