時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

コリカンチャ(太陽の神殿)にみるインカの技術

アルマス広場からソル通りを下っていくと、ント・ドミンゴ教会が見えてきました。教会の建物は、この地を侵略したスペイン人が1780年に建てたものですが、その土台はかつてここにあったインカ帝国のコリカンチャ(太陽の神殿)のものです。太陽神信仰を重要視した9代目インカ帝国皇帝パチャクテクは、各地に太陽神殿を建造しました。1438年に初代皇帝が建てた神殿を再建してそれらの神殿の中心と位置付けました。ケチュア語で「金で囲われた場所」を意味するコリカンチャは、その名の通り、外塀に金の帯がついた豪華な神殿だったそうです。f:id:greenbirdchuro:20190820234935j:plain

 

スペインからやってきた来た征服者たちは、黄金に溢れた神殿から略奪の限りを尽くし、神殿の建物を破壊してしまいました。黒い石が隙間なく積まれた土台部分にコリカンチャの名残を見ることができます。スペイン人が造ったサント・ドミンゴ教会もそれなりに立派な建物ではありますが、石造技術の精密さはインカの建築物に遠く及びません。隙間なく積まれたインカの石組みとは対照的にコロニアル建築部分の石と石の継ぎ目には接着材が用いられているのが肉眼でも確認できます。f:id:greenbirdchuro:20190820234939j:plain

 

かつては神殿があった場所なので少し高台になっています。青々とした芝生が美しいサグラド庭園の向こうには市街地を望むことができます。f:id:greenbirdchuro:20190820235847j:plain

 

市街地のすぐ背部には丘陵地帯が迫っています。f:id:greenbirdchuro:20190820235849j:plain

 

遠くに見える山の斜面にはVIVA EL PERU (ペルー万歳)の文字が刻まれていました。f:id:greenbirdchuro:20190821161131j:plain

 

こちらはペルーの国章です。勝利と栄光を象徴するオークの枝の冠の下に、月桂樹と椰子のリースに囲まれた盾が配置されています。盾の中に描かれているのは、国を代表する動物ビクーニャ(左上)・国木キナ(右上)・豊穣の角から溢れだす金貨(下)です。f:id:greenbirdchuro:20190821161137j:plain

 

教会の周囲にはペルーらしい植物が咲き乱れていました。2500~4000mの高地に育つ常緑樹のカントゥータに見られる赤や黄色の可憐な花はペルーの国花でもあります。
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入場料を払って中に入ると、ヨーロッパの教会によくありそうなアーチ回廊に囲まれた中庭にでました。神殿は、中庭をとり囲むように配置された「月・太陽・稲妻・虹・星などの部屋」から成っています。中庭中央にあるコリカンチャの時代の井戸はひとつの石をくり抜いて造られています。これもかつては黄金で覆われていたそうです。f:id:greenbirdchuro:20190820235149j:plainf:id:greenbirdchuro:20190820235155j:plain

 

回廊の周囲に復元された石組みは、まるで機械で切りそろえた石を接着剤を使って組み合わせたかのようで「剃刀の刃も紙も入らない」という表現がぴったりの精巧さでした。現代技術をもってしても難しそうな作業を、車輪も鉄も持たなかったというインカの人々が手作業だけで成し遂げたという事実には素直に驚くしかありません。f:id:greenbirdchuro:20190821163133j:plain


スペイン人によって破壊された石組みの跡を見ると、ただ整然と積み重ねられているように見える石壁の見えない部分には凸凹の細工が施されていることがわかります。釘を使わないで木組みする日本の宮大工さん達の伝統工法みたいに、石をパズルのように組み合わせることでより強固な造りを実現していたようです。f:id:greenbirdchuro:20190821163330j:plain

 

中庭の南東側には4つの小神殿が並んでいます。神殿の壁が地面に対して垂直ではなく、斜めに10度傾いているのがわかります。この壁を内側に傾かせる構造上の工夫と凹凸を利用した石組みがこの神殿の耐震強度を増しているんだとか。実際に、1950年のクスコ大地震で教会の上物が無残に崩れ落ちてしまった時でも土台の石組みだけはびくともしなかったというのは有名な話。その後の数回の地震も難なく耐え抜いています。f:id:greenbirdchuro:20190821161442j:plain

 

石組みでできた部屋の壁に設けられた台形の凹みには金銀でできた神像が置かれていたと考えられています。スペイン人はこの神殿を彩っていた黄金を根こそぎ本国に持ち帰ってしまいました。あまりに大量の金が流入したせいでヨーロッパはインフレになったという記録が残されているほどです。現存する石組みだけでも十分に美しいのに、豊富な金で装飾されたコリカンチャはどんなにか眩い神殿だったことでしょう。願わくば、歴史をさかのぼって、在りし日のコリカンチャの姿を見てみたいものです。f:id:greenbirdchuro:20190821163128j:plain


それぞれの部屋に設けられた飾り窓にもインカの石造りの技術の精巧さを確認することができます。床に置かれた石の台の上に乗って虹の神殿にある台形の飾り窓を覗いてみると、隣にある犠牲の部屋、さらにその隣にある雷の神殿の窓と全く同じ高さに同じ形で窓が造られていることがわかります。f:id:greenbirdchuro:20190820235047j:plain

 

石組みの壁にぽっかりと開いたこの空間は、ガラス板で覆われて保護されてることからも、重要な場所だったことがわかります。それもそのはず、この場所は王の玉座だったと考えられているそうです。f:id:greenbirdchuro:20190820235945j:plain

 

こちらが、インカの石組みで最も小さな石。1cm角ほどの大きさなので、注意して探さなければ通り過ぎてしまいそうです。作業の途中で欠けた部分を補修したものだと思われますが、わたしなら破損に気が付いても無視してしまいそうな細かさです。ついつい触りたくなる人間の習性を責めることはできませんが、その部分だけ黒光りしていて、このままだと差し歯みたいに欠けてしまうのは時間の問題だと思われたのでしょう。プラスチックで保護されてお触り禁止になっていました。甘んじて受け入れましたが、ちょっと残念!f:id:greenbirdchuro:20190821164242j:plain

 

 回廊にはたくさんの宗教画が飾られていました。宗教画を近くで撮るのは禁止みたいですが、回廊を撮って映り込む分はOKとのこと。ちょっと微妙なアングルですかね。f:id:greenbirdchuro:20190820235432j:plain

 

展示されていた模型でコリカンチャの概要をうかがい知ることができます。壁はあれほどまでの精巧な石組みなのに、屋根がわらぶき。なんというギャップでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190821184414j:plain

 

スペイン植民地時代にはわずかに残ったコリカンチャの内部の壁に漆喰画が重ね描きされたそうです。わずかに残存していた壁画の断片が2005年に修復されています。
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二重の扉をくぐって神殿の大きな部屋に入っていくと2m四方はありそうな大きな金板が飾られていました。残念ながら、略奪したスペイン人のスケッチを基にして作られたレプリカですが、この金板にはインカの世界観(コンドルが守る天上の世界・ピューマが守る地上の世界・蛇が守る地下の世界)が描かれているとか。うーん、かわいいオブジェにしか見えない・・・。でも、かわいいだけで神殿に飾られるはずはありませんから、かなり価値があるものだということはおぼろげながらも理解できます。侵略者にとって重要だったの表面の金装飾だけだったみたいで、現物が残っていないのが残念です。f:id:greenbirdchuro:20190821000107j:plain

 

金板の説明図です。今でこそ何が描かれたものかは理解できますが、当時はまだスペイン語が出来なかったのでちんぷんかんぷんでした。でも金板(のレプリカ)の一番上の太陽と月の間に描かれているキャラ(すっかり自分の中ではキャラクター化している)のかわいさには一目で心を射抜かれてしまいました。しばらく携帯の待ち受け画面にしていたのは言うまでもありません。f:id:greenbirdchuro:20190821185350j:plain

 

わたしが独断と偏見で決めた世界職人ランキングで、インカの時代の石工職人さんは3位にランクインしました。ちなみに1位は身内びいきで日本の職人さん、2位はイスラム装飾の職人さんとなっています。

 

興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯 (講談社学術文庫)

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インカ帝国探検記 - ある文化の滅亡の歴史 (中公文庫)

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