時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

オーストラリア初の世界文化遺産と最古の保存鉄道

ガートルード通りやニコールソン通りからトラムを下車してすぐのところの街の北東部に王立展示館とカールトン庭園がありました。

 

1856年に開園したカールトン庭園は、アカシア並木やポプラ並木もある広大で美しい庭園です。メルボリアンの憩いの場所としてよく手入れされていますが、都会の喧騒など一切感じさせない静かな雰囲気でした。2004年には、敷地内に建つ王立展示館とともにオーストラリア初の世界文化遺産に登録されています。それまでは、自然遺産かアボリジニ関係の自然遺産と抱き合わせになった複合遺産しかありませんでしたから、記念すべき第1号文化遺産になりました。ちなみにシドニーのオペラハウスの登録は2007年で、文化遺産は今でもこの2つだけだと思います。f:id:greenbirdchuro:20190726182718j:image

 

王立展示館は、カールトン庭園の中に建つヨーロッパ風の建物です。ビザンチン様式、ロマネスク様式、ルネサンス様式等を融合した砂岩造りの壮麗な建物で、その屋根の中央には大きなドームを冠しているのが印象的です。まるで宮殿か大聖堂のような佇まいだなと思いましたが、それもそのはず、中央のドームはフィレンツェにある大聖堂ドォーモをモデルにして設計されたものだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190725223232j:plain

 

設計を担当したのは、ウィリアム・バターフィールドの跡を引き継いでセントポール大聖堂を完成させたことでも知られる天才建築家ジョセフ・リードでした。ゴールドラッシュで巨万の富がもたらされた世界で最も裕福な都市メルボルンの有り余る冨と力の象徴として建設されたこの建築物の豪華さには、当時のメルボルンという街の勢い、人々の抱いてた明るい未来への希望や情熱があふれんばかりに表現されています。カールトン庭園のクラシックな噴水も景観の一部に取り込んでいて、カールトン庭園の中にあるというよりも、展示館に庭園が付属しているようにさえ見えてしまいます。f:id:greenbirdchuro:20190725223238j:plain

 

西側から見た外観です。オーストリア初の西洋建築物としてこの王立展示館が建設されたそもそもの理由は、1880年開催のメルボルン万博のためでした。欧米以外の場所で開催された世界初の万博となったメルボルン万博には、6ヶ月間の会期中に130万人をゆうに超える人々が訪れたそうです。加えて、1888年にもこの場所でオーストラリア建国100周年記念博覧会が開催されています。19世紀後半から20世紀初頭は、人々が万博に熱狂した時代でもありましたが、当時の世界博の建造物で今もなお現存しているのはこの王立展示館だけです。街ができて数十年足らずの植民地で万博が行われたのは、この街が他の歴史ある街にひけをとらない力(富)を持っていた証拠でもありますね。f:id:greenbirdchuro:20190725224131j:plain

 

北側からの外観です。1901年にはこの場所で初の連邦議会が開かれてもいますが、この王立展示館がずっと国の中心として栄えてきたわけではありません。キャンベラに首都の地位を奪われ、不況のあおりを受けたこの建物は1940年代にはメルボルンの人々からは白い象という無用の長物を表す不名誉なニックネームをつけられていました。取り壊しを検討されたこともありましたが、復興のきっかけは、1984年にエリザベス女王訪問を記念して名称に王立(Royal)が冠されたことでした。今も現役の展示館として様々な用途で活躍中ですが、ユニークなのは、お金さえ出せばイベント会場として誰もが使えるということです。そんな世界遺産なんてなかなかありませんよね。f:id:greenbirdchuro:20190725223252j:plain

 

展示館の北側にはメルボルン博物館https://museumsvictoria.com.au/reb/)が建っています。ビクトリア博物館を4倍に拡張して造られた南半球最大の博物館の外観は近代的そのもので、3D映画が上映されるIMAXシアターまで併設されていました。f:id:greenbirdchuro:20190725224256j:plainf:id:greenbirdchuro:20190725223257j:plain

 

展示内容は、自然や動物、歴史や科学など多岐にわたりっているので、子供も大人も一緒に楽しめます。お出迎えしてくれたのは、等身大の恐竜の化石模型。迫力満点で、まるでジュラシックパークの世界に入り込んでしまったような気分を味わえます。f:id:greenbirdchuro:20190725223305j:plainf:id:greenbirdchuro:20190725223313j:plain

 

こんなにたくさんの動物の剥製はこれまで見たことがありません。オーストラリア大陸にしか生息していないような動物や絶滅危惧種を目にすることができるのは、剥製とは言いながらもなかなか興奮します。f:id:greenbirdchuro:20190725223321j:plain

 

立体版オーストラリアの国章です。オーストラリアの国花ワトルを背景に、連邦を表す七稜星の下の盾に描かれているのは6つの州の記章です。オーストラリア特有の動物の中でカンガルーとエミューが選ばれたのは、前進しかしない動物だからだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190725223329j:plain

 

先住民アボリジニに関する資料が展示されたエリアでは、彼らの歴史や生活・文化について映像とグラフィックを交えて詳しく説明されていました。興味を持ったのは、文字をもたないアボリジニが、アートを使って部族の歴史や生きる為の知識を語り継いできたことです。メルボルンの街のあちこちにも彼らのアートが溶け込んでいたのを思い出しました。

 

メルボルンの締めくくりは、パッフィンビリー鉄道。このオーストラリア最古の保存鉄道は、メルボルン近郊の始発駅ベルグレイブから終点のジェムブルックまでの24kmの距離を農地やダンデノン丘陵の森林地帯を抜けて約1時間30分ほどかけて運行する観光列車で、機関車トーマスのモデルとも言われています。
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フリンダース・ストリート駅からベルグレイブ駅までは近郊列車1本でした。近郊列車の終点ベルグレイブ駅からパッフインビリーの駅は目と鼻の先です。ホームを抜ける近道もあるようですが改札から出てまわり道しても5分もかかりません。f:id:greenbirdchuro:20190722214652j:plain

 

停車しているパッフインビリー鉄道が見えてきて、テンションが上がります。パッフィンビリー鉄道は、20世紀初頭に開通した旧ビクトリア鉄道の5つの狭軌路線の1つでした。開業した1900年当初は、家畜や物資を運搬する実用列車でしたが、1954年にその役目を終え、1962年以降は観光列車として活躍しています。自由席なので、少しでも良い席に座ろうとたくさんの人々が乗車待ちの列を作っています。f:id:greenbirdchuro:20190722214703j:plain

 

当たり前だけど、とてもレトロな感じの車両です。パッフインビリー鉄道の窓にガラスはありません。窓に腰かけて車外に足をブラブラさせながら乗るのが一般的。日本では考えられない乗り方だし、危なそうにも思えますが、とてもゆっくり走るので振り落とされる心配はないそうです。f:id:greenbirdchuro:20190722214708j:plain

 

折り返し運転をするために、蒸気機関車を客用車両から切り離して、逆側のさっきまで最後尾だったところに連結しています。f:id:greenbirdchuro:20190722214714j:plain

 

モクモクと煙が出ていてかなり燃費が悪そうですが、本格的な蒸気機関車です。実は、ビクトリア州内で廃車となった蒸気機関車が第2の人生(車生)を送るためにここに集まってきています。1954年にパッフインビリー鉄道が実用列車としての役目を引退したと同時にパッフィングビリー保存会が発足しました。以降、運営も機関車の整備もほとんどがこの保存会のボランティアでまかなわれています。よほどこの鉄道に愛着があって、廃線にしたくなかったようですね。f:id:greenbirdchuro:20190722214719j:plain

 

今回は乗車する時間がなかったので、記念撮影だけ。機関車トーマスに似てないこともないですが・・・実際のトーマスのモデルは、ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道 蒸気機関車なんだそうです。恐らく、観光客を呼び込むためにトーマスの名を借りたんでしょうね。トーマスではなさそうだけどみんなに愛されているだけあって、なんだか愛嬌のある機関車でした。f:id:greenbirdchuro:20190722215012j:plainf:id:greenbirdchuro:20190722215027j:plain

 

オーストラリアは移民の国なので、その土地の料理なるものがありませんでした。だから、今回はグルメレポートはなしにしていますが、移民の国らしく色々な国の料理を食べることができました。

メルボルンとはこれでお別れです。

 

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