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自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

マチュ・ピチュ遺跡 前編(天空都市を目指して)

クスコでユルユル観光をしているうちに(標高3400mではユルユルせざるを得ませんが)なんとなく高所順応が出来てきたようなので、いよいよ今回の旅のハイライトでもあるマチュ・ピチュを目指すことにしました。チケットはあらかじめアルマス広場近くのオフィスで購入しておきました。チケット購入にはパスポートが必要ですが、入手したチケットにもきちんと氏名、年齢、性別、パスポート番号といった個人情報が記載されています。チケットを手に入れるためにかなりの時間を要しましたが、1人1人にこのチケットを発行しているのなら仕方ありません。次に行く時はネットで買います。f:id:greenbirdchuro:20190822234908j:plain

 

マチュ・ピチュ遺跡の公式チケット販売サイトはこちら↓

http://www.machupicchu.gob.pe/

 

クスコからマチュピチュまでは数通りの行き方がありますが、わたしが選んだのはコレクティーボ+観光列車でした。弾丸旅行者としては、最も楽で最も早く行ける(ただし最もコストがかかる)観光列車の利用は避けられませんが、乗り合いバスのコレクティーボを利用して途中駅のオリャンタイタンボ駅から観光列車に乗車すればクスコからのマチュ・ピチュ村までの直通列車と同じくらいの時間でより安く着くことができます。クスコから2時間ほどの場所にあるオリャンタイタンボ駅まではコレクティーボで2時間ほどです。ちなみにオリャンタイタンボ駅の周辺には山と川しかないので早く着いても時間は潰せません。f:id:greenbirdchuro:20190822232041j:plain

 

観光列車にはペルーレイル(Perurail)、インカ・レイル(Inda Rail)、アンデンレイルウェイ(Andean Rail Way)の3社があります。アンデンレイルウェイの列車は見れませんでしたが、こちらの青い車体の列車が最も歴史の古いペルーレイルです。ペルーレイルは老舗なのでクスコのボロイ駅から乗車できます。f:id:greenbirdchuro:20190822232215j:plain

 

そして、わたしがオリャンタイタンボ駅で乗車したインカ・レイルf:id:greenbirdchuro:20190822232755j:plain

 

オリャンタイタンボ駅を出た列車は、アマゾン川の源流の1つウルバンバ川に沿ってどんどん標高を下げていきます。車窓から見える景色は、延々と続く濁流の川と森林のみ。わたしが目指すインカ帝国の廃墟マチュ・ピチュはウルバンバ川の中流沿岸にあるウルバンバ渓谷の尾根にあります。霧の中のマチュ・ピチュも空中都市という雰囲気でさぞかし神秘的でしょうが、できれば晴れていてほしい・・・。f:id:greenbirdchuro:20190822233026j:plainf:id:greenbirdchuro:20190822233032j:plain

 

オリャンタイタンボ駅からは約1時間35分ほどでマチュピチュ駅に到着しました。少し青空が見えてきて安心しました。駅の周囲の標高は2000mほどです。クスコ到着から続いていた胸の圧迫感がすっかり消え、明らかに空気が濃いのがわかります。f:id:greenbirdchuro:20190822230725j:plainf:id:greenbirdchuro:20190822233912j:plain

 

遺跡に最も近い集落であるマチュ・ピチュ村には3000人ほどが暮らしています。村の主な産業は観光業ですが、遺跡以外にはほとんど見るものがありません。駅周辺には民芸品市場がありますが、観光は一瞬で終了します。ちなみに、村の正式名称はアグアス・カリエンテス(お湯)です。村で温泉が湧いているのが由来ですが、あえてマチュピチュ村を名乗るは、香川県がうどん県を名乗るのと同じで、温泉より遺跡の方が集客できるという政治的判断ゆえでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190822234015j:plain
 

マチュ・ピチュ村から遺跡までは歩いて行くことも出来ますが、標高差400mの登坂を2時間は歩くことになりますので、片道30分ほどで行けるシャトルバスを利用することにしました。バスは頻繁に出ているので、それほど待つこともなく乗車できましたが、遺跡の入り口までのハイラム・ビンガン・ロードはヘアピンカーブを13回も折り返す車酔い必発のジグザグ登坂です。決して安くはないバス代ですが、歩かなくて正解でした。マチュピチュ遺跡のエントランスにはかなり人だかりが出来ています。f:id:greenbirdchuro:20190822234117j:plain

 

遺跡はまだ見えてきませんが、渓谷に霧がかかる景色は既に絶景です。



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空中都市とか失われた都市とも呼ばれるマチュ・ピチュは、15世紀半ばのインカ帝国第9代皇帝パチャクティの時代に造られたと考えられています。他のインカの都市がスペイン人にことごとく破壊されたにも関わらず、麓からその姿を確認できない標高2400mの密林の中にあったマチュ・ピチュは幸いにも難を逃れることができました。主を失って草に埋もれた廃墟となったマチュ・ピチュがハイラム・ビンガムによって発見されたのは1911年のことでした。残念ながら、アンデス文明は文字を持たなかったため、この遺跡が造られた目的や首都クスコとの関係ははまだ解明されていません。

 

順路に沿って歩いて行くと、コルカと呼ばれる草葺屋根の建物が出てきます。コルカは畑で採れた作物を保存するための貯蔵庫でした。屋根はイチュと呼ばれる稲科の植物を使って復元されています。f:id:greenbirdchuro:20190823162545j:plain

 

さらに森の中のジグザグ道を進むと視界が開け、夢にまで見たマチュ・ピチュの風景が広がっていました。映像では何度も見たことがありますが、霧がうっすらと(ほどよく)かかる遺跡の姿は「空中都市」の名にふさわしい神秘的な姿です。あちこちからも多言語の歓声が聞こえてきましたが、声にならない声しか出てきません。f:id:greenbirdchuro:20190822234524j:plain

 

丘の上にはコルカと同じようにイチュで屋根葺きされた見張り小屋が見えています。見張り小屋は、インカ時代の住人にとっての監視場所であると同時に遠くの人々と交信するための場所だったようです。
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マチュ・ピチュ遺跡の最南端の最も高い場所に位置する見張り小屋の側は、遺跡の全景を含めた360度の景色を見渡せる絶好のビューポイントになっています。 ふだんの行いが良いせいでしょうか(?)、どんどんと霧が晴れてきました。ここに来てやっと、自分の足でマチュ・ピチュ遺跡に立ち、自分の目で直にこの景色を見ているんだという実感が湧いてきました。誰もが感じる疑問だとは思いますが、こんな山の中に何のためにこれだけの規模の都市を築いたのでしょうか。その疑問が未だに解明されていないことも、どれだけ考えたってわかるはずないことも知っているのに、それでもループのように頭に浮かんできます。f:id:greenbirdchuro:20190822234854j:plain

 

クスコで見たコリカンチャや市街地の石組みと同様に、マチュピチュ遺跡の中にも見事な石組みがきれいに残されていますが、遠くから眺めていると、建物によって石組みが均一ではなく、その精巧さにもランクがあることがわかります。通路や壁や貯蔵庫のように価値がそれほど高くない建造物では、石の大きさもバラバラで、石組みも粗雑に見えます。どうやら石組みが精巧なものほど重要な建築物のようで、高官の住居や宮殿がそれに相当するようです。f:id:greenbirdchuro:20190822234848j:plain

 

見張り小屋の左右には段々畑が広がっていますが、特に遺跡の西側に広がる段々畑の傾斜は凄まじいとしか言いようがありません。こちら側の段々畑が造られたのは、作物を作るためではなくて、土砂崩れを防ぐためだったと知って安心しました。ここでの農作業は命がけすぎますもん。f:id:greenbirdchuro:20190823173250j:plain

マチュ・ピチュ遺跡の観光はまだまだ続きます。

 

世界遺産 マチュピチュ完全ガイド (地球の歩き方 GEM STONE 25)

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マチュピチュ探検記 天空都市の謎を解く

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