時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

ナスカの地上絵

クスコ到着から数日が経過し、標高3000~4000mの高地にもすっかり順応できていましたが、プーノを最後にアンデス山脈とはお別れです。プーノ近郊の街フリアカの空港から国内線でリマに移動することにしました。久々に味わう平地の空気は濃く感じます。 ペル…

チチカカ湖で暮らすウル族の生活

マチュ・ピチュ遺跡を観光したので、ペルーに来た目的は8割がた達成したのですが、せっかくなのでチチカカ湖に足を延ばしてみることにしました。チチカカ湖はペルー南部とボリビア西部にまたがる大きな淡水湖ですが、見るべき価値のある珍しい湖とされていま…

マチュ・ピチュ遺跡 後編(謎だらけの失われた都市)

1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガムによって発見されたことで400年にも及ぶ長い眠りから目覚めたマチュ・ピチュ遺跡はマチュピチュ山とワイナピチュ山の間に挟まれるように存在しています。 ケチュア語で年老いた峰という意味のマチュ・ピチュに対…

マチュ・ピチュ遺跡 前編(天空都市を目指して)

クスコでユルユル観光をしているうちに(標高3400mではユルユルせざるを得ませんが)なんとなく高所順応が出来てきたようなので、いよいよ今回の旅のハイライトでもあるマチュ・ピチュを目指すことにしました。チケットはあらかじめアルマス広場近くのオフィ…

コリカンチャ(太陽の神殿)にみるインカの技術

アルマス広場からソル通りを下っていくと、サント・ドミンゴ教会が見えてきました。教会の建物は、この地を侵略したスペイン人が1780年に建てたものですが、その土台はかつてここにあったインカ帝国のコリカンチャ(太陽の神殿)のものです。太陽神信仰を重要…

インカ帝国の首都クスコ

2012年春、長く勤めていた勤務先の退職を決心したわたしは、溜まりに溜まった有休を消化するために旅行に出かけることにしました。時間があった学生時代はお金がなくて(度胸もガッツも足りなくて)、社会人になってからは時間がなくて、なかなか長期の旅行を…

アンダルシアグルメ

ふんだんな山の幸と海の幸を活かしたスペイン料理は、イタリア・モロッコ・ギリシア料理と共に地中海料理として2010年に世界無形文化遺産に登録されています。とはいえ、かつて別々の国だった地方が集合して国家を成しているスペインは、国土が広大なだけで…

アルハンブラ宮殿 後編

ナスル朝宮殿の最後を締めくくるのが、ライオン宮。なんと、王以外の男性は立ち入り禁止のハーレムだった場所です。国や文化や宗教が違ってもどこにでもあるもんですね・・・。そのライオン宮のハイライトがライオンの噴水を中央に配したライオンの中庭です…

アルハンブラ宮殿 前編

早起きが続きます。 常に大行列が出来るアンダルシアの観光スポットの中でもアルハンブラ宮殿(http://www.alhambra-patronato.es)は断トツに混雑します。1日の入場制限がある上、最大の見どころであるナスル朝宮殿に至っては個別に指定された見学時間にし…

イスラム文化香るかつての王都グラナダ

2018年の元旦も早起きでした。「1年の計は元旦にあり」が真なら今年も忙しなく動き回る年になりそうだなと思いながら、大晦日の延長戦をしている酔っ払いを避けるようにコルドバの鉄道駅のすぐ北側にあるバスターミナルに向かいました。既にチケットは入手済…

ムデハル様式の最高傑作アルカサル

スペイン王室の宮殿として現在も使用されているアルカサルの歴史は、西ゴート王国時代の教会跡地に総督府を築いた10世紀の後ウマイヤ朝時代にさかのぼります。カスティーリャ王国によって征服された13世紀以降も歴代の国王によって増改築が繰り返されてきま…

セビリア大聖堂とヒラルダの塔

トリウンフォ(勝利)広場の北側には、ゴシックとルネサンスの建築様式が混合した壮大なセビリア大聖堂(カテドラル)が建っています。「後世の人に正気の沙汰ではないと思われるような大聖堂を建てよう」というキリスト教会らしからぬ発想のもと、15世紀か…

大航海時代に栄えた世界遺産の街セビリア

またまた早起きしてコルドバ駅からスペイン国鉄の旅です。旅というのも大袈裟で、セビリアのサンタ・フスタ駅まではたった45分。目的地セビリアは、70万人が暮らすスペイン第4位の都市にしてアンダルシア州の州都です。レコンキスタ前後の2つの文化が融合し…

コルドバ歴史地区 後編(メスキータからローマ橋)

メスキータ最大の見所の1つは、アルハカーム2世の命で作られた豪華なミフラーブです。金色や青色のモザイク装飾が施された馬蹄型アーチの周囲にはぐるりとコーランの一節が刻まれています。モザイクでできているとは信じ難いような美しく緻密な装飾は、どれ…

コルドバ歴史地区 前編(旧ユダヤ人街からメスキータ)

見るからに新しいピカピカのマラガ・マリア・サンプラーノ鉄道駅にやってきました。まだ時間が早いこともあってひと気が少ないですが、このターミナル駅はスーパーマーケットや飲食店街があるだけでなく、ショッピングモールとも繋がった複合施設になってい…

断崖の上に築かれた絶景の街 ロンダ

ロンダ駅から真っ直ぐ伸びるマルティネス・アステイン通りを南下し、新市街の繁華街エスピネル通りに入ります。モザイクタイルの貼られたお洒落な通りは、アンダルシアで最も長い歩行者天国。閑散とした駅周辺とは対照的にとても賑わっています。 通りの突き…

アルヘシラスからモロッコのタンジェを目指してみた

夜中のお祭り騒ぎがウソのように静まり返った明け方のこと。アンダルシア上陸からまだ24時間もたっていませんが、南部の港町アルヘシラスに向かい、そこからジブラルタル海峡を渡ってアフリカの玄関口であるモロッコのタンジェに行くため、マラガのバスター…

コスタ・デル・ソルの中心都市マラガ

市街地を西に向かって進むと古代ローマ劇場が見えてきました。紀元1世紀にアウグストゥス皇帝によって建設され、 3世紀まで使用されていた由緒ある劇場です。この半径31m・高さ16mの大きな劇場は、ちょっとしたイベントならこのままでも使えそうな感じですが…

アンダルシア上陸・マラガ

2017年、年の瀬も押し迫った頃、年末年始を暖かいところで過ごしたくて、航空券漁りをしていたわたしは、スペインのマラガ行きの格安航空券をみつけてしまいました。暑いのも寒いのも苦手なわたしにとって、同じスペインでもマドリードやバルセロナでもなく…

ドバイで寄り道とアリバイ工作

アンマンから帰国のために搭乗した飛行機の乗継時間を利用してドバイ観光です。 数十年前まで遊牧民が暮らす砂漠地帯だったドバイは、石油の発掘とともに、あっという間に世界有数のリゾート地となりました。なんと年間約1,500万人を超える観光客が訪れるそ…

トランスフォーマーのロケ地にもなったペトラ遺跡

目の前が広場のようになったエル・ハズネから再び短めのシークを抜けるとアウター・シークと呼ばれる広い通りにでます。40以上の墓が神殿のファサードのように並ぶファサード通りが見えてきました。どのファサードも屋根が階段状に装飾され、下部には地面に…

インディ・ジョーンズで見たペトラ遺跡

ヨルダンに数十年ぶりに降った大雪のせいで、ほとんど諦めかけていた今回の旅のハイライト「ペトラ遺跡」にやってきました。旅程を変更して粘った甲斐があって、夜には帰国便に乗らないといけないので、時間は限られていますが、帰国直前にして最初で最後の…

イスラエルからペトラ遺跡を目指して再びヨルダンへ

イエスが頻繁に祈りのために訪れていたというゲッセマネの園はオリーブ山の麓にあります。現在まで受け継がれているオリーブの木は8本だけですが、かつてのこの辺りは一面のオリーブ畑でした。盛んにオリーブオイルの精製が行われていたため、ヘブライ語で油…

イエス・キリスト生誕の地「ベツレヘム」

朝早くにベツレヘムに向かいました。ベツレヘムは、ヨルダン川西岸地区南部にある3万人超が暮らすベツレヘム県の県都です。第3次中東戦争以降、イスラエル占領下にありましたが、1995年にパレスチナに返還され、現在はパレスチナ自治政府が治めています。未…

 イエスの歩いた最後の道「ヴィア・ドロローサ」

イエスが処刑された当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にありました。ユダヤ教徒ではない総督のピラトにとって、イエスのキリスト自称など取るに足らないことでしたが、ユダヤの指導者たちに扇動された群衆を納得させるためにはイエスの処刑を認めざるを…

嘆きの壁にみる悲しきユダヤの歴史

シオン門をくぐった旧市街の南西部はアルメニア人地区です。アルメニア料理のお店やお土産物屋さんが並んではいますが、人通りも少なくとても静か。アルメニア人地区がキリスト教地区・イスラム地区・ユダヤ人地区と並ぶエルサレムの4地区に数えられることが…

ダビデ王の墓と最後の晩餐の部屋があるシオンの丘

エルサレム旧市街の南西のシオン門の外の一角はシオンの丘と呼ばれています。真っ先に思い浮かぶのは、イスラエル建国の父ヘルツルが起こしたシオニズムですが、シオンとはエルサレムの古い呼び名です。ヘルツルがヨーロッパ中のユダヤ人に「祖先の土地シオ…

死海とヨルダン・イスラエル国境超え

次の目的地はペトラのはずでしたが、ペトラに向かうハイウェイは相変わらず不通のままだし、雪に埋もれたアンマンに戻っても仕方ないので、目的地を変更して死海に向かうことにしました。死海近辺に積雪がないのはネボ山からも確認済みだし、死海を眺めなが…

モザイクの街マダバで見た世界最古のマダバ地図

ネボ山の次に向かったのは10kmほど南東に位置するマダバという地方都市です。マダバは、マダバ県の県都で約60,000人の人が暮らすヨルダンで5番目に大きい街、そして「モザイクの町」として知られています。アンマンからそれほど離れていないというのにマダバ…

モーセの約束の地「カナン」を望むネボ山

2015年2月、やってきたのはヨルダンです。 行ってみたいと思っていた国ではありましたが、いつもながらの「安かったから」で来ちゃいました。安いのも当たり前。ヨルダンのお隣の国シリアのアレッポで2名の日本人がISILとみられる過激派武装集団に拘束され、…

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