時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

インディ・ジョーンズで見たペトラ遺跡

ヨルダンに数十年ぶりに降った大雪のせいで、ほとんど諦めかけていた今回の旅のハイライトペトラ遺跡にやってきました。旅程を変更して粘った甲斐があって、夜には帰国便に乗らないといけないので、時間は限られていますが、帰国直前にして最初で最後のチャンスを楽しみたいと思います!!

 

ペトラ遺跡に興味を持ち始めたのは、多くの人がそうであるように映画インディ・ジョーンズ 最後の聖戦を見た子供時代でした。ハリウッドの2大巨匠が手掛けた映画の中で登場した聖杯が隠された神殿「エル・ハズネ」の壮大な姿を見た時の感動は、それが映画のために作られたセットではなくて、実在する遺跡であると知った瞬間に何倍にも増幅され、いつかはその姿をこの目で見てみたいとずっと夢見てきました。ハリソン・フォードもわたしも年を取ったけど、やっとその時が訪れたのです。楽しみでソワソワして、遠足の前日の子供のように眠れませんでした。

 

朝一でやってきたビジターセンター。「Welcome To Petra」にあらためてペトラまでやってきたことを実感します。1985年に世界遺産にも登録されているペトラ遺跡は映画の舞台になったこともあって、多くの人が憧れるとても有名な遺跡ですが、その詳細の多くは不明のままです。初めて歴史に登場したのは紀元前1世紀以降に乳香や香辛料などの貿易で力を持っていた古代アラブ民族のひとつナバタイ人の首都としてでした。しかし、それ以前のものと考えられる史跡も存在しているので、正確な建造時期はわかっていません。ローマ帝国に併合されて、ナバタイ王室の時代か終わった後もローマ風の都市として繁栄が続きました。363年の大地震によって廃墟と化し、歴史の表舞台から一旦は姿を消しましたが、1812年にスイス人探検家のヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって発見され、再びその存在を広く知られるようになっていきました。f:id:greenbirdchuro:20190802224545j:plain

 

入り口からシークまでの1kmほどの道は、左側が馬用、右側が歩行者用道路になったバーブ・アッシークです。バーブ・アッシークの左右には、ペトラ遺跡を残したナバタイ人の庶民の墓と思われる低い岩の丘が並んでいます。f:id:greenbirdchuro:20190802224553j:plain

 

道沿いの右手には、精霊が宿ると伝えられるジン・ブロックスと呼ばれる巨大な岩のブロックが3基並んでいました。比較的上流階級のナバタイ人の方形墓だと考えられています。日本のお墓のように埋葬した上に墓石としての岩を置いてあるのではなくて、岩の上部に穴を開けてその中に埋葬していたとのこと。奥にあるのがナバタイの女神ウッザー、手前にあるのが娘のアッラートを表していて、その間の奥まったところにあって写真では見えていないの大きなブロックが主神ドゥシャラーを表しているとも言われています。f:id:greenbirdchuro:20190802225004j:plain

 

ジン・ブロックスの対側には、オベリスクの墓バーブ・アッシーク・トリクリニウムとが上下に一緒になった遺構がありました。4本の塔がエジプトのオベリスクに似ていることから付けられた上段のオベリスクの墓は、ナバタイの王アレタス1世の墓ではないかと考えられています。ドリス様式の柱にギリシアの影響が表れた下段のバーブ・アッシーク・トリクリニウムは死者のための饗宴の儀式が行われた遺跡だそうです。f:id:greenbirdchuro:20190802225221j:plain

 

狭い断崖絶壁の谷間の道シークに入っていきます。ここからエル・バズネまで1.2kmの緩やかな下りの道が続きます。f:id:greenbirdchuro:20190802225616j:plain

 

シーク内の両側には、見事な水路が設けられていました。写真の水路はエル・ハズネに向かって右側を流れる飲用水用のものです。水路だけではなく、エル・バズネの手前にはシーク内の洪水を防ぐためのダムも整備されています。ナバタイ人が繁栄した理由のひとつは、後に支配したローマ人が手を加える必要もないほど彼らが水利技術に優れていたからだとも言われています。各地に素晴らしい水道橋を築いた水路のプロとも言えるローマ人が認めたくらいなので、ナバタイ人の技術は当時の最先端をいっていたものと思われます。f:id:greenbirdchuro:20190803154528j:image

 

シークの対側、左側には灌漑用水路がありました。f:id:greenbirdchuro:20190802225627j:plain

 

シークの中は細く曲がりくねっていて、両側には高さ60〜100mの断崖が迫っています。カーブを曲がるごとに含有鉱物によって赤・黄・茶・青・・・と七変化する岩肌が作り出す景色はとても美しく、同じように見えても全く違った表情を見せてくれるので、飽きがきません。f:id:greenbirdchuro:20190802225623j:plainf:id:greenbirdchuro:20190804205645j:image

 

シーク内にもともと整備されていた石畳はほとんど失われてしまっていましたが、再整備された石畳が所々に見られました。f:id:greenbirdchuro:20190802225632j:plain

 

薄暗い峡谷の隙間に明るい光が差してきました。忽然と姿を現したのが、ペトラ遺跡のハイライトであるエル・ハズネです。これまでのシークの断崖に挟まれた長い道のりはこの景色を見た時の感動を増幅させるための演出だったのではないかと思うくらい圧倒され、その全貌をを早く目にしたくて思わず駆け出してしまいました。f:id:greenbirdchuro:20190802225636j:plain

 

エル・ハズネの全景です。オレンジ色に輝く壮麗な遺跡は、かつて「インディ・ジョーンズ・ 最後の聖戦」で見たままでした。シークから出てきた誰もがその存在感に圧倒され、その美しさに息を呑みます。岩山を上から下へと削って作られた高さ45m・幅30mの巨大な正面のファサードは、まるで神殿のような外観です。映画の世界と違って建物の内部には何も残っていないため、この遺構が作られた目的もはっきりしていません。宝物殿とは呼ばれていますが、紀元前1世紀にナバタイの王アレタス4世によって建造された葬祭殿のようなものではないかと考えられています。全部で12本あるコリント柱は、12の月を表しているそうです。f:id:greenbirdchuro:20190802225642j:plain

 

上に彫られた納骨壺は、財宝が納められていると信じたベドウィンによって銃撃を受けたため破損しています。上部円柱の中央にはナバタイのウッザー神と同一だとされるイシス神が刻まれているのがうっすらとわかります。他にも人物像が複数彫られていますが、劣化や破損で誰を描いたものかはっきりと見分けることができません。そんな状態でもファサードに施された装飾はとても緻密で十分な見応えがありました。f:id:greenbirdchuro:20190803230832j:image

 

ペトラ遺跡の中は車が入らないにも関わらず、そこそこの距離を歩かなければならないので、観光客向けのラクダがたくさん待機していました。日本の動物園にいるラクダは人に唾を吐きかけたりしますが、こちらのラクダはとてもお利口です。写真を撮りながら進みたいので、この先も徒歩で向かうことにします。f:id:greenbirdchuro:20190802232842j:plain

 

いきなり初っ端からペトラ遺跡のハイライトを迎えてしまいましたが、まだまだ見どころいっぱいのペトラ遺跡、後編に続きます。

 

ヨルダン ペトラ、死海に行ってみた

ヨルダン ペトラ、死海に行ってみた

 
CREA Traveller (クレア・トラベラー) 2012年 04月号 [雑誌]

CREA Traveller (クレア・トラベラー) 2012年 04月号 [雑誌]

 

 

<