時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

フリードリヒ2世の愛したサン・スーシ宮殿

ポツダムという地名で日本人の多くが真っ先に思い浮かべるのは、第二次世界大戦の際のポツダム会談とポツダム宣言です。連合国側からの降伏要求の最終宣言(ポツダム宣言)を日本が最終的に受け入れたことで終戦に至ったことは有名ですが、戦後70年以上たった今もなおこのポツダム宣言が日本の領土問題(北方領土尖閣諸島)や外交問題に影を落としているのもまた事実。領土問題のニュースを見てはエキサイトするわたしにとってこの地名に良いイメージなどあろうはずもありません。ところが、テレビ塔で出会った出張ついでに観光中という日本人ビジネスマンとの立ち話で知ってしまったポツダムの「宮殿群と公園群」が世界遺産登録されているという事実。というわけで、自称世界遺産ハンターは、ベルリン中央駅からSバーン(近郊列車)で40分の隣街のポツダムにやってきました。 

「ポツダム宣言」を読んだことがありますか?

「ポツダム宣言」を読んだことがありますか?

 

 

ショッピングモールが一体化したポツダム中央駅からハーフェル川にかかる橋を渡るとそこは旧市街の外れ。

アルター・マルクト広場と1837年築の聖ニコライ教会が見えています。神殿のような新古典主義プロテスタント教会はカール・フリードリッヒ・シンケルの代表作の一つです。彼が携わったベルリンの街を彷彿とさせるさっぱりとした外観ですが、この教会の特徴とも言える高さ78mのモスグリーンのドームは彼の没後にできたもの。それにしても、とにかく大きい。目いっぱい引いてなんとかフレームに収まりました。戦前には市が立ち並ぶポツダムの台所だったアルター・マルクト広場は、1979年に再建された大理石のオベリスク以外は何もない本当にただの「広場」でした。f:id:greenbirdchuro:20190717154743j:plain

 

フリードリヒ・エーバート通りを北に歩き、ブランデンブルク通りとの交差点まで来ました。突き当たりにみえるナウエル門は18世紀に建てられた旧市街の玄関口です。f:id:greenbirdchuro:20190717162949j:plain

 

そのまま右手を見ると、すぐそこに聖ペーター・聖パウル教会の姿がありました。旧市街にピッタリの歴史を感じる佇まいです。f:id:greenbirdchuro:20190717162304j:plain

 

Nauener Torrと聖ペーター・聖パウル教会をもっとよく見てみたい気持ちを抑えて、先に進みます。左折した先がプロイセン王フリードリヒ1世の時代の1735年に開通したブランデンブルク通りです。第2次世界大戦で甚大な被害を受けたこのポツダムのメインストリートも、ドイツ再統一後に美しく修復されています。ポツダムは東西分断時代は東ベルリンの一部でしたが、その頃からこの通りは歩行者天国になっています。作られた観光地という雰囲気ではなく、実際にそこで生活する地元の人で賑わっているという様子がとても活気があって歩くのが楽しくなってきます。f:id:greenbirdchuro:20190717162336j:plainf:id:greenbirdchuro:20190716233136j:plain

 

 賑やかな通りを直進するとブランデンブルク門が見えてきました。ギリシャ神話のヘラクスやマーキュリーの彫刻が施された上品で立派な門ですが、ベルリンのブランデンブルク門に比べるとやっぱり小さい。本家にはかなわないのね・・・なんて思っていたら、プロイセン王フリードリヒ大王がオーストリアとの7年戦争の戦勝記念としてこの門を建てたのは1770年。実はこっちの方がベルリンよりも20年早く完成していました。こちらが本家とは、とんだ失礼をしました。f:id:greenbirdchuro:20190718094257j:image

 

緑と湖に囲まれた美しい町ポツダムは、夏の避暑地として古くから王家に愛されてました。フリードリヒ2世が18世紀に建築した豪華な宮殿の中でも、もっとも歴史があって有名なのは、宮廷文化全盛期の面影を今なお保つサンスーシ宮殿です。

 

目的地のサンスーシ庭園・宮殿は、ブランデンブルク門からほど近くにありました。アレー・ナハ・ザーンスシーの突き当りにある門から入ると良く手入れされた単調な並木道が続きます。f:id:greenbirdchuro:20190716233022j:plain

 

250mほど歩くと、右手にイタリア風の邸宅Villa Illaireが見えてきました。もともとは裁判所の庭師が所有していた小さな家を1846年にルートヴィヒ・フェルディナンド・ヘッセが別荘に改築・拡張したものです。 名前の由来は、内閣評議員だった家主のErnst Emil Illaireなのですが、読み方不明です。よく手入れされた庭園も美しいのですが、パステルイエローの壁を蔦う薄紫の藤の花が満開でとても見事でした。f:id:greenbirdchuro:20190716233027j:plain

 

Villa Illaireの敷地を北西に抜けると急に視界が開けました。はるか先の丘の上にある宮殿に向かって長い並木道が続いています。石ころにさえ決まった場所があるのではと思うくらい美しく整備されていて、ゴミひとつどころか落ち葉一枚すら落ちていません。f:id:greenbirdchuro:20190718094312j:imagef:id:greenbirdchuro:20190718215917j:plain

 

美しいのは建築家や造園家によって造られた庭園部分だけではありません。並木道の周囲には自然のままの森や林が広がりゴロンと寝転がって昼寝でもしたいくらいの長閑な風景が広がっています。ゆるやかに流れる水路には美しい水鳥の姿もありました。f:id:greenbirdchuro:20190717195918j:plainf:id:greenbirdchuro:20190717195948j:plain

 

宮殿の建つ丘は、その傾斜を生かして築かれた6段のテラス一体となって壮大な風景を作り出しています。その圧倒的な風景から、国王がこの場所に望んだものは、国王としての権力の誇示などではなく、周りの風景や自然との調和だったということを感じとれます。ようやくコートがいらなくなった時期だったので生い茂るには至っていませんが、段々畑のように見えたテラスには実際に葡萄とイチジクが植えられていました。f:id:greenbirdchuro:20190716233042j:plain

 

宮殿の足元には円形の大きな池があり、その中央にある噴水からかなりの高さまで心地よい水しぶきが噴き上がっています。池を取り囲むように配置された彫像の一体一体がとても躍動的です。
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噴水の周りの植木が、とても几帳面に剪定されていました。さすが、ドイツ人。その仕事ぶりにはなんだかシンパシーを感じてしまいます。f:id:greenbirdchuro:20190718215706j:plain

 

6段テラスを庭園から見上げると、葡萄の蔓を這わす塀とその奥に空間のある鉄製の扉とが規則正しく交互に並んでいます。宮殿で消費するワイン用の葡萄棚をこんな芸術的な景観の庭園にしてしまうあたりに、フリードリヒ2世の合理的な国家経営者の顔と芸術家としての顔が垣間見えました。f:id:greenbirdchuro:20190717160352j:plain

 

葡萄棚のテラスのせいでとても大きく見えたサン・スーシ宮殿ですが、実際は平屋建てで、東西の全長が100m・部屋数12のこじんまりしたものでした。ベルサイユ宮殿の部屋数が700と言いますから、比べ物にならないくらいコンパクトです。外装も比較的簡素で、モスグリーンの屋根と明るい黄色の壁といった具合に全体がパステル調でまとめられていました。f:id:greenbirdchuro:20190717160431j:plain

 

2本が1組のなった付け柱の上には人物彫刻が、最上部の欄干の上にも不思議な彫像が配置されていました。この彫刻の中にも葡萄がちりばめられています。f:id:greenbirdchuro:20190717160623j:plainf:id:greenbirdchuro:20190717160628j:plain

 

フリードリヒ2世の命でこの宮殿が建築されたのは、プロイセン王国時代の1746年でした。驚くのは着工からわずか2年という短い期間で建てられたことです。ヨーロッパの宮殿や教会って完成に数年どころか数十年や数百年を要するのがデフォルトなので、国王はよっぽどこの宮殿の完成を熱望していたんでしょう。その証拠に、自らも宮殿の設計に参加したんだとか。秀でた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努めた啓蒙専制君主の典型とも言える偉大な国王は、心から政治を忘れてリラックスできる場所を求めていたようです。夏の離宮のはずが、74歳で亡くなるまでここで暮らし続けたそうです。フランス語で憂いなしを意味するサン・スーシという宮殿の名前はまさにここの目的ピッタリだったわけです。f:id:greenbirdchuro:20190717160616j:plain

 

何時間も先まで空きがない宮殿内部の時間指定ツアーは、諦めざるを得ませんでした。宮殿の建つ高台から庭園を見下ろすと、ベルサイユ宮殿の庭園を手本にしたという平面幾何学的なフランス・バロック様式の庭園が広がっています。ずっと眺めていたくなるうっとりするような景色です。f:id:greenbirdchuro:20190716233123j:plain

 

庭園の西にある新迎賓館の裏手には歴史的風車と呼ばれる一棟の風車小屋がありました。1945年に火災で全焼してしまって1993年に再建されたものです。景観を損なうという理由で一旦はこの風車の取り壊しを命じたフリードリヒ2世でしたが、農夫の懇願を聞き入れて残すことにしたそうです。若い頃に王位を継ぐのが嫌で国外逃亡を図ったがために友人を処刑されてしまうという悲痛な経験をしている国王が、人の痛みのわかる優しい人柄の持ち主でもあったことがわかります。フルートを奏でるパフォマーの姿は、音楽を愛し自らもフルートを演奏したという国王になぞらえたのでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190717161826j:plain

 

帰りも旧市街の景色を楽しみながら駅までの道のりを歩きました。ブランデンブルク通りのレストランで食べた人生初のアイスバイン。その美味しさに衝撃を受け、その後のドイツ食の定番になっています。f:id:greenbirdchuro:20190718094839j:image

 

世界遺産の宮殿群や庭園群のほんの一部ではありましたが、美しい風景を楽しみながら亡きフリードリヒ2世の人柄にも触れて、優しい時間を過ごすことができました。数日に渡って戦災跡や収容所跡みたいな悲惨なものばかり見続けていたせいかもしれませんが、一気に心の洗濯ができたような気がします。

 

サンスーシ宮殿の栄光と音楽家たち [DVD]

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プロイセンの宮廷音楽 〜サンスーシ宮殿 フリードリヒ大王の居室にて〜

プロイセンの宮廷音楽 〜サンスーシ宮殿 フリードリヒ大王の居室にて〜

  • アーティスト: ムジカ・レセルヴァータ,J. G.グラウン,J. G.ヤニチュ,C.シャフラート,J. S.バッハ,C. P. E.バッハ,Musica Reservata,国枝俊太郎,小野萬里,岡田龍之介,?橋弘治
  • 出版社/メーカー: ALM RECORDS
  • 発売日: 2013/11/07
  • メディア: CD
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