チチェン・イッツァのマヤ遺跡
夜間のお祭り騒ぎが嘘のようなカリブ海の夜明けです。
カンクンのホテルゾーンから車で2-3時間かけてチチェン・イッツァにやって来ました。1988年に世界遺産に登録されたマヤの遺跡のチチェン・イッツァは後古典期には北部マヤの中心地として栄華を極めた広大な遺跡群です。
さっそく、旧チチェン・イッツァ領域からスタートです。
お土産物屋さんの並びを抜けると高僧の墓と呼ばれる小さめのピラミッドが見えてきました。8段の石積みの上に建つ数本の石柱は恐らく神殿跡で、ここでなんらかの儀式が行われていたと思われます。高貴な身分の人のお墓でもあったみたいでここから複数の装飾品が見つかっています。階段の最下部にはマヤの最高神ククルカン(羽を持つ蛇の姿をした農耕の神)が大きな口を開けています。良く見るとその口の中にはイグアナの姿が!
これは天文台エル・カラコルです。9mの基壇の上に建つドーム状の屋根の建物は高さ13m、空洞の内部にらせん状の階段があることからカラコル(カタツムリ)と呼ばれるようになりました。基壇の岩の北東角が夏至、南西角が冬至のそれぞれの日の出の方角を指しています。ドーム屋根の壁には天体観測の照準線になるスリット状の窓があります。このスリット状の窓から目視で太陽・月・星の動きを観察しているとどうしても寄り目になってしまうので、寄り目=高い身分と学識の証だったそうです。
マヤの女神官の住居と考えたスペイン人が尼僧院と名付けたこの建物の本当の役割はわかっていません。20mの基壇の上に複数の部屋がある2層構造になっています。その右手に不自然に開いた穴は19世紀にフランスのトレジャーハンターがダイナマイトであけたものだそうです。この人に外国人がフランスの寺院の壁をダイナマイトで吹っ飛ばしたらどう思うか聞いてみたいものです。本当に腹立たしいことです。尼僧院を正面から見ると、入口の上部にはマヤ文字が綺麗に残っていて、壁面が雨神チャックで埋め尽くされているのがわかります。さらに建物の右端にもチャックの長い鼻が残っていました。
尼僧院の隣ゆえに教会と呼ばれる建物がありました。実際には神官たちの集会の場所だったそうです。尼僧院と同様にトルテカの影響のない純粋なマヤのデザインで、壁面には雨神チャックをはじめとする水に関する神や生き物が所狭しと彫られていました。
ここから新チチェン・イッツァ領域に移動しました。
千柱の間と呼ばれるたくさんのレリーフが彫られた迫力ある多柱回廊があり、その背後に戦士の神殿はそびえています。ここは生贄の胸から太陽の神に捧げるための心臓を取りだす場所でもありました。取り出された心臓は階段の上に鎮座しているチャック・モールのお腹の上に捧げられました。想像するだけで血生臭いですね。
チチェンイッツァの代表的な建造物といえば、マヤの最高神ククルカンを祀るエル・カスティーヨです。56m四方の正方形をベースにした高さ24mの階段状のピラミッドの頂上にマヤの天文学を体現したという大きな神殿が載っています。四方向に配された91段の長い階段を4面合計すると364段、それに最上段の神殿の1段を足してちょうど365段、これで太陽暦1年を表しています。マヤの人々は祭祀のために1年を260日とする神聖歴(ツォルキン暦)と併用していました。すると365日と260日の二つのサイクルが重なる日が52年に一度訪れます。人々はこの年を災いの年として恐れたんだそうです。
カスティーヨと言えば年に2回だけ見ることができる「ククルカンの降臨現象」で有名です。春分・秋分の日に太陽が沈むと真西から照らされたピラミッドの階段の西側にうねるようなジグザグ模様が浮かび上がります。それが北面階段の最下段にあるククルカンの頭部彫刻とつながると、まるでククルカンが天から降り立ったかのように見える神秘的な現象です。これを見るためのツアーが日本からも複数出ているようです。カスティーヨに向かって立ち、大きく手をたたくとケツァル鳥の鳴き声がこだまとして返ってきます。わたしもやってみましたが現地の人ほど上手く音が出せていないみたいで、返ってきたケツァル鳥の鳴き声が瀕死の状態でした。そうは言ってもケツァル鳥の本当の鳴き声なんて聞いたことないですけどね・・・。
鷲とジャガーの台座は生贄の儀式に使われたと考えられています。鷲とジャガーはそれぞれが昼夜を表すと同時にトルテカ戦士のシンボルでもありました。基壇の側面には心臓を食べる両者の姿が描かれていて、太陽が毎日昇るためには人間の心臓を捧げる必要があると考えていたトルテカの影響の強さでが伺えます。
ツオンパントリ(骸骨の台座)の基壇の側面には敵の頭蓋骨の彫刻が無数に刻まれています。当時はこの台座の上に棒で串刺しにした生贄の生首を並べたそうですが、周辺諸国への見せしめにはさぞかし効果があったことでしょう。
ジャガーの神殿の中には猫のようなかわいらしいジャガーが鎮座していました。テオティワカン同様にマヤ人もこのアメリカ大陸最強の肉食動物を神の様に崇めていました。神殿の壁にはレリーフがぎっしりと描かれています。長い年月による劣化で描かれているものははっきりしませんが、服装の違う2つの民族(マヤとトルテカ)が描かれているんだそうです。
ジャガーの神殿のすぐ裏手は球戯場になっていました。マヤ遺跡のほとんどに存在する球戯場のうち、長さ168m・幅70mもあるチチェン・イッツァのものはメソアメリカ最大規模です。マヤの球戯はサッカーに似たスポーツで、2つのチームに別れ、手を使わずに非常に重いゴムボールを壁の上部に取り付けられた石の輪に入れるというものでした。試合が白熱するほど雨が降り豊作になると信じられていました。この球戯には穀物の豊穣を占うだけではなく、その勝敗で生贄を決めるという恐ろしい目的もありました。負けた方が生贄かとおもいきや勝った方だとする説もあり、現在でもそれははっきりしません。どっちにしろ命懸けだったことだけは確かですね。
輪の中にボールを通せば即勝利ですが、実際に6メートルの高さにある石の輪を見るとサッカーがかわいく見えるくらいかなりの高難度です。
球戯場の壁には神聖なゲームのルールが刻まれています。レリーフの中にはチームのリーダーが斬首されている姿も・・・。噴出した血が数匹の蛇として生々しく表現されています。わたしたちには馬鹿げた恐ろしい話ですし、勝者が生贄になるとしたらなおさら意味不明でしかありません。しかし、当時は神への生贄は名誉なことだと信じられていたので競って志願したんだそうです。場所も時代も文化も違うと理解に苦しみますね。
チチェン・イッツァ周辺には川や湖沼がなく、天然の湖セノーテが唯一の水源でした。このセノーテは聖なる泉として700年頃から宗教儀礼に用いられるようになり、その中に財宝と共に生贄の人間を投げ込んだそうです。後にこの中から生贄の人骨が120体ほど見つかっています。斬首も怖いけどこっちもイヤですね。心霊写真になるかもしられない・・・と覚悟しながら撮りましたが、多分大丈夫そうです。多分・・・。
この後、セノーテの一つに泳ぎに行くんですけど・・・。
メキシコに行ってみた: チチェン・イッツァ ククルカンの降臨、ピンクラグーン、テオティワカン、メキシコシティー、メリダ
- 作者: せかいめぐる
- 発売日: 2019/04/05
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る