時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

遺跡まるごとペルガモン博物館

1都市1博物館・美術館が芸術キャパシティの限界と自認しているわたしですので、初めから興味のある博物館を狙い撃ちすることに決めていました。博物館島にある早々たる施設の中で、わたしが躊躇なく選んだのはペルガモン博物館です。ペルガモン博物館には、館名の由来にもなった「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などが展示されています。博物館島の中でもとりわけ人気が高く、というか恐らく一番人気だと思うんですが、行きあたりばったりさんの呼び声高いわたしもさすがに事前予約をして臨みました。

 

館内に入っていきなり目に飛び込んでくるのが、大きなイシュタル門です。大きさだけでなく、釉薬で鮮やかに発色したレンガの青色の美しさに目を奪われます。愛と戦を司るメソポタミアの女神の名を冠したイシュタル門は、バビロニア王国の首都バビロン(現在の中央イラク)の城壁にあった4つの門のうちの1つでした。バビロンの主神であるマルドゥクに捧げるために建国王の息子ネブカドネザル王が建てたものです。高さも博物館の天井近い15mあり、あまりに大きすぎて写真には収まりきれません。f:id:greenbirdchuro:20190710191420j:plain

 

両側の外壁ファサードもイシュタル門と同じ技法で作られ、神々を象徴する霊獣の姿が浮き彫りによって描かれています。f:id:greenbirdchuro:20190710185723j:plain

 

上段のマルドゥク神の霊獣ムシュフシュは、ヘビの頭、鱗に覆われた胴体、ライオンの前脚、鷲の爪、サソリの針とまさにフル装備で、いつでもかかってこい的なキャラです。ポケモンディアルガに似てると思うのはわたしだけでしょうか?下段は、馬のようにも見えますが、天候神アダドの随獣である牡牛です。f:id:greenbirdchuro:20190711182110j:plain
ポケモンプレイヤーだとバレてしまいましたが、ディアルガはこれ↓f:id:greenbirdchuro:20190711232453j:image

 

館内の廊下を使って30mほどが復元されたイシュタル門へ続く「行列通り」には、そのイシュタルの霊獣ライオンの浮き彫りが施されていました。怪しいものが立ち入らぬように門の霊獣とともにバビロンを見張っていたんですね。f:id:greenbirdchuro:20190710191552j:plain


イシュタル門の裏側に復元展示されていたのは1909年にトルコで発掘されたミレトスの市場門です。ミレトスはイズミル近郊にあったギリシア人の植民都市でした。高さ17m、幅29mもある大理石製の門には、ギリシャ様式の円柱とローマ皇帝時代のアーチが特徴的なヘレニズム様式が混在し、200年頃に造られたものだと考えられています。こんなに大きなものを運んだ上に屋内に復元した労力に感心しますが、さらに驚くべきは、こんな豪華な門が宮殿や神殿ではなく市場の門だったということです。f:id:greenbirdchuro:20190710192337j:plain

 

トルコから運んだからこそわかることですが、重さ1600トンもあるそうです。こちらも巨大で正面どころか側面からもどうやっても写真に収めるのは無理でした。f:id:greenbirdchuro:20190710190953j:plain

 

門の前にはミレトスのモザイク床も展示されていました。ガラスと天然石で造られた2世紀頃のモザイク画に描かれていたのは、ギリシア神話の吟遊詩人オルペウスの物語でした。今でもこんなに鮮やかに物語を辿れるのに床にしてたなんてもったいなくて信じられません。当時の人々は後世でこのモザイク画がこんなに評価されるなんて知らなかったんでしょうけどね。f:id:greenbirdchuro:20190710192419j:plain

 

古代西アジアの展示室では、発掘された基礎壁と碑文をもとにアッシリア宮殿の部屋が復元されていました。忠実に再現された内装の壁面には宮殿を飾っていたレリーフが展示されていて、特にビビっと来たのがこの方、アッシリアの人頭有翼獣像です。その名の通り鷲の頭と翼を持った人間です。この類のレリーフは世界各地の遺跡や伝承で見かけますけど、時代や場所が違っても人の求めるものってなんか似てるもんだなぁと感慨深くもありました。f:id:greenbirdchuro:20190710194208j:plain

 

こちらにいらっしゃる門番ラマッス像もなかなかステキなお方です。展示室の壁を利用して向かいあうように配置されていました。門番と言われる通り、アッシリアの王アッシュールナツィルパルの宮殿を見張っていた人面有翼雄牛像です。首から上は長い髪の顎髭を垂らした人間の姿をしていますが、背中に大きな鳥の翼が刻まれています。とは言ってもこちらはレプリカで、紀元前9世紀頃に造られた本物は大英博物館に展示されているそうです。f:id:greenbirdchuro:20190710193340j:plain

 

センケナブリの水槽は、紀元前7世紀に造られた玄武岩の水槽です。清めの儀式のために水門や運河を整備したことで知られるアッシリアセンナケリブ王から奉納されたもので、水槽の壁のレリーフには、水がほとばしる器を持った神々が刻まれています。それにしても、門番ラマッス像と神様がソックリなんですけど・・・。もしかして当代のイケメンってこんな感じだったのでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190710193107j:plain

 

こちらもセナケブリ王時代のもので、盾持ちと音楽隊の宮殿レリーフは、アッシリアの首都であったニネベの宮殿で見つかりました。隣接するイシュタル神殿の側壁を飾るレリーフだったようですが、この辺りはイスラム教の聖地でもある上に近年は過激派組織ISILによる遺跡の破壊と略奪が激しくて、調査がなかなか思うように進んでいかないようです。f:id:greenbirdchuro:20190710200728j:plain

 

イスラム美術の展示はアレッポの部屋という裕福なシリア商人がアレッポキリスト教地区に造らせた応接室から始まります。つくられたのは1601年で、オスマン帝国の壁様式としては現存する最古のものだそうです。ガラスで保護されたT字型の部屋の9面の壁は、赤を基調とした化粧板で、その上に動植物や人物が隙間なく繊細に描かれています。中央の壁に旧約聖書新約聖書の場面がイスラム写本芸術の様式で描かれたているのがとても印象的です。ここの主人はキリスト教徒だったようですが、碑文の「神は寛容な者と共にある。寛容な者は寛容を享受する。」という言葉や部屋の装飾からは、宗教に関係なくお客をもてなそうとした主人の心配りが感じられます。f:id:greenbirdchuro:20190710192733j:plainf:id:greenbirdchuro:20190710201144j:plain

 

ウマイア朝のムシャッタ宮殿の正面ファサードは、現在のヨルダンの首都アンマンで見つかりました。高さ約5m、幅33mにも及ぶ大きな外壁ですが、展示されているのは城壁のごく一部で実際は144mあったとされています。ちなみに、他の遺構が宝探しの戦利品のように欧州各国に持ち帰られたのに対し、このファサード1903年オスマン帝国のスルタンから寄贈されたものです。ファサードに刻まれた細やかで美しい模様を良く見ると、左側にはライオンや鳥、ケンタウルスのような半人半獣などの生き物が描かれています。f:id:greenbirdchuro:20190710191859j:plain

それに対して、右側に描かれているのは植物だけ。これは、右側の城壁の裏にあったモスクへの配慮だと考えられています。f:id:greenbirdchuro:20190710191905j:plain

 

これは、カシャーンのメイダンモスクのミフラーブです。釉薬をかけられたタイルから切り出された鮮やかな青を基調に金色の装飾がとても美しいアクセントになっています。近くで見ると幾何学模様を中心に飾り文字や唐草模様、組紐模様などが細かく描かれていて、ずっと眺めていても飽きることがありません。メッカの方角を示す目印でしかないはずのミフラーブがこんなに芸術的なのは、偶像崇拝を禁じられているイスラム教ならではの見せどころだからかな?という気がします。f:id:greenbirdchuro:20190711162754j:image

 

グラナダの木製ドームは、イスラム教特有幾何学模様が緻密に組み合わさっています。とても繊細でそれにかかった労力を思うと溜息が出ます。f:id:greenbirdchuro:20190710192930j:plain

 

 残念ながら、ペルガモン博物館の目玉の1つで、博物館の名前の由来となっているぺルガモンの大祭壇は2020年まで修復中ということで見ることが出来ませんでした。それでも、興味深いユニークな展示が多くて、予約必須の人気ぶりにも納得です。ただ、遺跡や文化の保護という大義名分でうやむやのうちに運びこんできたものも多いようで、それってどうなのよ?と思わないでもありません。遠い将来には本来の場所なり国なりに返還する時が来るのかもしれませんね。

バビロニア:われらの文明の始まり (「知の再発見」双書)

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掠奪されたメソポタミア

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