時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

ベルリン大聖堂と博物館島

シュプレー川にかかるシュロス橋を渡ります。早く大聖堂に行きたくてあまりよく見ていませんでしたが、あらためて見ると欄干のデザインも凝っています。f:id:greenbirdchuro:20190711203740j:plain

 

ボーデ美術館の周りには何台もクレーンが立っていて、「絶賛工事中」ですが、歴史ある建物にはもれなくついてくるお馴染みの風景なので仕方ありません。f:id:greenbirdchuro:20190713135808j:plain

 

そして、とうとうベルリン大聖堂とご対面!近くで見ると、その荘厳な雰囲気に圧倒されてしまいます。ターコイズブルーが印象的な高さ114mのドームとそれを支えるネオバロック様式の建物の放つオーラ、とうてい写真では表現することが出来ません。堅実で芯の強い民族性の表れたドイツの建築物の中でも格段に力強く見えます。f:id:greenbirdchuro:20190709221550j:plain

 

中洲の反対に渡って北側から見ると中央のドームを4つの塔が囲んでいるのがわかります。イタリア・ネオルネッサンス様式の影響を多分に受けたこの壮大なプロテスタントの大聖堂は、ヴィルヘルム2世の命でホーエンツォレルン王家の記念教会として1905年に建て替えられました。第二次世界大戦による損傷も含めて度重なる修復を受けて現在の状態を保っています。繰り返し修復されているあたりに、この大聖堂がベルリンの市民にとっていかに大切な拠り所であったかが表れています。f:id:greenbirdchuro:20190710181838j:plain

 

聖堂の内部に足を踏み入れると、そこには「荘厳」という表現にぴったりの空間がありました。白を基調とした壁に施された立体的で細やかスタッコ装飾(化粧漆喰)にアクセントとなった黄金色の装飾が映えます。ステンドグラスも色鮮やかで、その全てがこの広い空間を優雅なものにしています。f:id:greenbirdchuro:20190709222323j:plain

 

特に、主祭壇の煌びやかさは秀逸で、その繊細な黄金装飾にはうっとりします。見れば見るほど目が離せなくなるという感じです。イエスキリストの誕生・受難・復活の3枚のステンドグラスはとても繊細なタッチで描かれています。淡く差し込む光でまるでキリストから光が放たれているように見えて、とても神秘的です。f:id:greenbirdchuro:20190710172246j:plain

 

ドームの内側には山上の説教の祝福(イエスが説いた八つの幸福の教え)を表す8つのモザイク画がありました。50万ピースという気が遠くなりそうな数のピースから成るこちらも繊細かつ煌びやかな作品です。ドーム(天)と一体化しているのでこれらを作品と呼ぶことには抵抗すら感じてしまいます。f:id:greenbirdchuro:20190709222330j:plain

 

7269本ものパイプをもつ巨大なパイプオルガンはヴィルヘルム・ザウアー工房が製作したものです。サイズといい重厚さといいこの大聖堂に相応しい存在感です。f:id:greenbirdchuro:20190710171349j:plain

 

ドームの上にある展望台を目指して内部階段を登って行くと、ドームの内側にあったモザイク画をこんなに近くで見ることができました。f:id:greenbirdchuro:20190709222334j:plainf:id:greenbirdchuro:20190709222339j:plain

 
270段の階段を上りきった先にある展望台の高さは75mです。外へ出るとそこはベルリン市街のパノラマが広がる開放的な絶景スポットになっていました。f:id:greenbirdchuro:20190710180126j:plain

しかも、この展望台は完全な屋外で、ガラスなどさえぎるものがありません。ドームを一周すれば様々なベルリンの名所を訪れずして眺めることができます。f:id:greenbirdchuro:20190711210612j:plain

大聖堂の前はルストガルデンと呼ばれる芝生の公園になっていて、その上で寛ぐベルリン市民が姿が多く見られました。大聖堂がいくら荘厳でも教会の前庭にしては広大すぎると思っていましたが、ここにはかつて王宮があったと聞けば納得です。f:id:greenbirdchuro:20190709222434j:plain

 

大聖堂の展望台から降りてきました。

大聖堂のあるシュプレー川の中洲の北側のエリアは、博物館島(ムゼウムスインゼル)と呼ばれています。というのも、プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって「芸術と科学のための地域」に指定されて以降、この中洲には博物館の建設が相次ぎ、今ではベルリン美術館を構成する5つの博物館・美術館(ペルガモン博物館、ボーデ博物館、旧国立美術館、旧博物館、新博物館)が集まっているからです。この場所も戦禍を免れることはできず、復興に長い時間がかかりましたが、今ではこの一帯が世界遺産に登録されて、博物館や美術館好きには堪らない場所になっています。そうなると、芸術に疎いわたしでも絶対に行かなくては・・・となるわけです。f:id:greenbirdchuro:20190710190018j:plain 

まずは旧博物館。ルストガルデンに面して大聖堂の西側に建っています。プロイセン王国の王室コレクションの収蔵と展示のための王立博物館として他の博物館に先駆けて1830年に建築されました。1966年に再建・修復されて以降は、アンティーク・コレクション を中心に収蔵していますが、新古典主義様式の傑作とも言える由緒ある建物の外観だけでも一見の価値があります。f:id:greenbirdchuro:20190709221557j:plain

 

ベルリン高速鉄道と西岸のボーデ通りに挟まれて博物館島の中央に建つ建物が国立美術館です。後期古典主義様式と初期新ルネサンス様式が混在したデザインの外観はプロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が描いたスケッチを基に設計されたそうです。いかにも王様の好みが反映されているという雰囲気の堂々とした建物で、当時の面影をよく残しているそうです。f:id:greenbirdchuro:20190710190308j:plain

 

となると、美術館の前にフリードリヒ・ヴィルヘルム4世騎馬像があるのも納得ですよね。四隅に配置された宗教、芸術(詩)、歴史、哲学を表現した像には、この国王が芸術を愛したことが表れています。さらに、この騎馬像の国王は三角帽子やピッケルハウベ(頭頂部にスパイク状の頭立が付いたヘルメット)と言った軍国主義の象徴のようなものを身につけていません。勇猛さを表現することに重きを置かれた他の騎馬像とは一線を画していますが、そのおかげで軍国主義を徹底的に廃した東ドイツ時代においてもこの騎馬像が破壊を免れたそうです。f:id:greenbirdchuro:20190710190555j:plain

 

博物館同士を結ぶように廻らされた長い回廊は、まるで大聖堂や宮殿の回廊のように印象的です。インスタやっていないけど、インスタ映えしそう・・・。f:id:greenbirdchuro:20190710190428j:plain

 

そして、新博物館。と言っても決して新しいわけではなくて、博物館島で2番目の1855年に旧博物館に収蔵しきれなくなった所蔵品を収めるために建築されました。要するに旧博物館に比べて新しいわけです。同じ名前の親子がSr.と Jr.で区別される海外ではありがちなネーミングですね。戦争被害のあまりの酷さで長い閉鎖状態から再オープンにこぎつけたのは70年ぶりの2009年でした。開館を宣言したのが、現役のメルケル首相ですから、つい最近までダメージを引きずっていたことがわかります。f:id:greenbirdchuro:20190710191645j:plain

 新博物館はネフェルティティの胸像を始めとするエジプト・コレクションが素晴らしいことで知られています。「自分の限界は1都市1博物館」とわかってペルガモン博物館のチョイスしたものの、どうしてもネフェルティティの胸像が見たくて掟破りのペルガモン博物館とのダブル予約をしてしました。ネフェルティティの胸像は撮影禁止だったので、3点だけご紹介。

 

紀元前1000年頃のものと推定されるベルリンの黄金の帽子は、高さ74.5cm、重さ490g。中東やエジプトを思わせるエキゾチックさですが、意外にもこれまで発見された4つの金の帽子はいずれもヨーロッパ(ドイツとフランス)で見つかっています。規則的に型押しされた表面の模様は暦で、天体崇拝の儀式の際に人が被ったものではないかと考えられています。骨董品として出回っていた!ところをこの博物館が買い取ったのが1996年。こんな掘り出し物が出るとは恐るべしヨーロッパの骨董品市場・・・しかも結構最近だしf:id:greenbirdchuro:20190714221746j:plain 

胸像は撮影禁止でもネフェルティティの立像は撮影OKでした。この立像は、紀元前1345年頃の作品でエジプトのアマルナで発掘されたものです。ネフェルティティは古代エジプト第18王朝のファラオだったアメンホテプ4世の王妃でした。クレオパトラやネフェルタリと並ぶエジプトの三大美女の1人だけあって、現代でも通用する端正な顔立ちです。それに細すぎでも太すぎでもない女性らしい体型をされています。f:id:greenbirdchuro:20190714221835j:plain



線の細さが少年らしいツタンカーメンの胸像。ファラオらしい猛々しさがあまり感じられないのは、若く虚弱だったせいでしょうか。先述のネフェルティティはツタンカーメンの義母でもありました。DNA鑑定によるとツタンカーメンと年上女房のアンケセナーメンの父親はいずれもアメンホテプ4世。つまり、二人は異母兄弟姉妹婚だったようです。しかも、アンケセナーメンは父親のアメンホテプ4世との間にも子をもうけているというからわたしの理解はかなり超えてしまっています。ギリシャ神話の神様たちと同じくらい近親婚で有名なエジプト王朝の縁戚関係がとても複雑なのは有名な話。とやかく言うつもりはないですが、ツタンカーメンが生まれながらに虚弱だった理由はそれかも・・・。f:id:greenbirdchuro:20190714221816j:plain

 

と、ここまではほとんど博物館の外観だけでしたが、いよいよお目当てのベルガモン博物館に入りたいと思います。

 

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