時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

戦勝記念塔の女神と建国の立役者たち

 

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何のイベントなのかお祭り騒ぎのブランデンブルグ門をくぐって東側に伸びるウンター・デン・リンデンを歩こうと思っていたのですが、振り返ると、人だかりの向こうに映画「ベルリン天使の詩」でもその印象的な姿がおなじみの戦勝記念塔が見えていました。1㎞以上は離れているというのに頂上に輝く女神のオーラがスゴイです。というわけで、方向転換して勝利の女神を目指して歩くことにしました。f:id:greenbirdchuro:20190712181725j:plain

 

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広大なティーアガルテンを貫く6月17日通りを歩いていくと、閑静な公園の中央にそびえる戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)とその頂きに立つ勝利の女神ヴィクトリアの後ろ姿が近づいてきました。塔の建設が始まったのは1864年、完成したのは1872年でした。もともとは2度のデンマーク戦争での勝利を記念して着工したものでしたが、完成までの8年間でオーストリア戦(1866年)やフランス戦(1871年)でも勝利したため、これらの戦勝もひっくるめた記念塔になっています。かつては、帝国議会議事堂前広場に建てられていましたが、ヒトラーの首都改造計画で現在の場所の移設されました。その際に塔の高さを6.5m増して、現在の高さ67mになったそうです。f:id:greenbirdchuro:20190712181756j:plain

 

ロータリー型の交差点ラウンドアウトの真ん中に建つ塔には、地下道からアクセスできるようになっていました。塔の台座には、第2次世界大戦の際の銃撃や砲弾による凹みや欠けが生々しく残っていて、ここでの市街戦の激しさを物語っています。4面のレリーフには先の4つの戦争の大勝利の様子が刻まれていました。このうち対デンマーク戦争と対フランス戦争のレリーフは終戦後にフランスに持ち去られていましたが、ミッテラン政権時代に返還されて、再びこの台座に収まっています。f:id:greenbirdchuro:20190712181840j:plain

 

黄金色に輝く勝利の女神ヴィクトリアの高さ(身長?)は8.32m、重さ(体重?)は40トン。右手に月桂樹、左手に鉄十字の杖が握られ、堂々とした姿です。f:id:greenbirdchuro:20190712181846j:plain

 

塔の周りにあった彫像もやはり戦勝に貢献した人物のものでした。こちらは、参謀総長として、4回の戦争でプロイセン王国を勝利に導き、ドイツ統一に貢献した近代ドイツ陸軍の父ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの像です。f:id:greenbirdchuro:20190712181947j:plain

 

アルブレヒト・フォン・ローンは、プロイセン王国の陸軍大臣を務め、軍制改革に貢献したモルトケやビスマルクと並び称されるドイツ建国の立役者の一人です。f:id:greenbirdchuro:20190712181940j:plain

 

こちらの銅像の人物は、わたしごときが説明するのはおこがましいくらい有名なオットー・フォン・ビスマルク。プロイセン王国首相・北ドイツ連邦首相・ドイツ帝国首相を歴任した鉄血宰相の異名を持つドイツ建国の父です。特に、卓越した外交力で19世紀後半の欧州で構築した「ビスマルク体制」によって国際政治を牽引したことで知られています。・・・とにかく、すごい人なんです。だって、国名や時代が移り変わってもずっと首相だったなんて普通はあり得ないですから。f:id:greenbirdchuro:20190712181943j:plain

 

かつて王家の狩猟場だったという広大なティーアガルテンをシュプレー川に向かって歩くと、周囲に広がる緑の芝生とのコントラストも美しい白亜のベルビュー宮殿が姿を現しました。川の南岸に建つ2 階建のベルビュー宮殿は、南北の端から東に向かって翼棟が伸びた姿が翼を広げた白鳥を思わせる上品なドイツ初の新古典主義建築の建物です。1786 年にプロイセンの皇太子のために建てられたものですが、王室の手を離れてからは、校舎や民俗学博物館としても利用され、ナチス政権の迎賓館だったこともありました。第二次世界大戦の爆撃で壊滅状態となり、1950年代に修復というよりほぼ新築して、改修を重ねた現在はドイツ連邦大統領官邸となっています。f:id:greenbirdchuro:20190712181951j:plain


川沿いからシャイデマン通りを公園内を抜けて、ブランデンブルグ門のあるミッテ地区に戻ってきたところにライヒスタークがありました。古典主義のクラシカルな建物の中央に巨大なガラス張りのドームを頂いた斬新なデザインです。ライヒスタークはドイツ語で「国会の建物」という意味で、ドイツ帝国時代の国会議事堂として建設されたものです。1999年以降は連邦議会として利用されていますが、ライヒスタークという元の名前を残したので「ドイツ連邦議会の置かれた国会議事堂」というのが正確ですね。建築物としてもユニークで見ごたえがある上に、予約も料金もなしで見学できることから見学に訪れる観光客も多いようです。f:id:greenbirdchuro:20190712181621j:plain


ブランデンブルク門を抜けた東側にはパリ広場があります。今でこそわたしのようにカメラを持った観光客でにぎわうベルリン随一の観光名所ですが、旧東ドイツ時代は一般市民の立ち入れない「死の地帯」でした。この広場から始まるウンター・デン・リンデンの大通り沿いに建ち並ぶお洒落な建物や菩提樹の並木道からはかつての殺伐とした雰囲気など想像もつきません。f:id:greenbirdchuro:20190709214411j:plain

 

しばらく歩くとウンター・デン・リンデンを南北に貫くフリードリヒ通りに突き当たります。かつての東ベルリンの繁華街は、ベルリンの壁の崩壊以降も目覚ましく発展し、今やファッションブランドの旗艦店や高級デパートの建ち並ぶ賑わいを見せています。一見するとただ華やかなだけの通りに冷戦時代を思い出させるとても珍しい観光スポットがありました。f:id:greenbirdchuro:20190709215033j:plain

 

それは、フリードリヒ通りとツィンマー通りとの交差点にあったのは兵士の写真が目印の「チェック・ポイント・チャーリー」。分断当時は、外国人だけが通過できた検問所でした。今では兵士の格好をした記念撮影要員が立つ観光名所で、言われなければそこに検問所があったなんて微塵も感じないようなただの街の一画なのです。80歳超の師匠は、新聞社の取材に同行して、壁のあった時代にこの検問所を通過したそうですが、とても緊張感の漂う場所だったそうです。f:id:greenbirdchuro:20190710094507j:image

 

ジャンダルメンマルクト(近衛騎兵広場)は、18 世紀から19 世紀にかけて建造された魅力的な建築物が集まるベルリンで一番美しい広場です。初めてこの場所に広場が造られたのは1688年。プロイセンの憲兵隊ジャンダルムの厩舎があったことから名付けられました。現在の姿になったのは18 世紀後半で、広場の正面に建つコンツェルトハウスを挟んで、向かい合うように2つの大聖堂(フランスドームとドイツドーム)が南北に建っています。第二次世界大戦でこの広場も大きな被害を受けましたが、痕跡を残すことなく完璧に修復され、その美しさを取り戻しています。f:id:greenbirdchuro:20190709001116j:plain

 

広場の南側に建つのがドイツドームです。ドイツ最大のプロテスタント教会の大聖堂として1708年に竣工しました。その後、プロイセンのフリードリヒ2世によってドームと円柱堂が増築されています。f:id:greenbirdchuro:20190709000936j:plain

 

広場の北側に建つのがフランスドームです。こちらは、迫害されてフランスから逃れてきたユグノー(カルヴァン主義の改革派教会の新教徒)のために建設されました。1705年に完成し、後にドイツドームとお揃いのドームが設置されました。荒廃した時期もありましたが、復元され、ドイツドームと双子のように広場に並んでいます。f:id:greenbirdchuro:20190709220549j:plain

 

2つの大聖堂に挟まれるように広場の中央に建つンツェルトハウスは、1820年頃にカルル・フリードリッヒ・シンケルの設計で建築されたベルリン古典的建築の名作です。国立劇場の後継だったこともあり、長くシャウシュピールハウス(劇場)と呼ばれていましたが、第二次世界大戦後の修復を終えて再オープンを迎えた1984年からコンツェルトハウスと呼ばれるようになりました。ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の本拠地でもあり、3つのホールでは年間に500以上のイベントが開催されるベルリンの文化の中心です。

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マルクグラーフェン通りからベーベル広場に出ると聖ヘトヴィヒ大聖堂の姿が見えてきます。高さのある建物ではありませんが、お椀をひっくり返したような形の大きな緑色のドームが印象的です。ベルリンでは珍しいカトリック教会ということもあってか、広場を囲む建物の中でもひときわ存在感を放っています。f:id:greenbirdchuro:20190709220553j:plain

 

ウンター・デン・リンデンを挟んだ向かいにはベルリンで最も古くに創立されたフンボルト大学がありました。建学されたのはプロセイン王国時代の1810年。国王の名前と建学者の教育改革者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの名前を冠したてフリードリヒ・ヴィルヘルム大学と名付けられていましたが、ドイツ再統一後に現在の名前に改称されました。森鴎外や北里柴三郎といった日本の学術界を担う多くの人材が留学したことからも名門であることは疑いようがありません。f:id:greenbirdchuro:20190709220558j:plain

 

さて、シュプレー川の向こうにベルリン大聖堂の大きなドームが見えてきました。いよいよベルリン観光のメインとも言えるエリアに突入します。f:id:greenbirdchuro:20190709221544j:plain

 

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