時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

プランバナン寺院群 後編(プラオサン寺院・カラサン寺院・サリ寺院)

セウ寺院から約1㎞ほど東に行くと美しい田園地帯の中にプラオサン寺院が姿を現しました。現在は南北の仏堂を中心にわずかな数の小祠堂が残るのみとなっていますが、周辺に積まれた瓦礫の量を見るとかつての規模の大きさがうかがえます。仏堂は西向きに建っていて、手前が北堂・奥に見えるのが南堂です。中央に並び建つ両堂の尖った屋根が逆立った髪のように天を衝いている様がとても印象的です。f:id:greenbirdchuro:20190623214612j:plain

 

こちらは北側から両堂の背面をみたものです。9世紀頃に建造されたプラオサン寺院は当時栄えていた王家同士の結婚を祝う為に建造されたと言われています。しかも結婚したカップルはヒンドゥー王朝のラカイ・ピカタン仏教王朝出身のスリ・カフルナン王妃。王が仏教徒の王妃に贈ったプラオサン寺院の基本的は仏教寺院ですが、 両方の宗教が共存する不思議な空間になっていました。本当のところはどうなのかわかりませんが、お互いを尊重する夫婦愛が宗教の違いを超えた「ええ話」っぽいです。f:id:greenbirdchuro:20190623214609j:plain

 

東側の小祠堂は一部修復を終えていました。かつて、北堂周囲に116棟、南堂周囲に16棟もの小祠堂があったそうなので完全な復元にはまだまだ時間がかかりそう。f:id:greenbirdchuro:20190623214623j:plain

 

南北の両堂の外観はそっくりでした。それぞれの入口の階段脇には対になったドヴァラパーラ蔵(門衛神)が鎮座していました。f:id:greenbirdchuro:20190623214633j:plain

 

外壁に施されたレリーフの精巧さには一見の価値があります。採光のために設けられた開口部がカーラの口になっていて、悪いものは一切寄せ付けないぞ!って感じです。菩薩や天女の身体は肉感的でそのラインも優美な曲線で描かれていて、不謹慎ながらもそこはかとないセクシーさがありました。2つの宗教が違和感なく調和していて本当に見事です。f:id:greenbirdchuro:20190623214642j:plainf:id:greenbirdchuro:20190623214724j:plainf:id:greenbirdchuro:20190623214718j:plain

 

内部には中央と左右の3室が設けられていました。仏教寺院とは言いながらもお堂の造りはヒンドゥー寺院とそっくりです。建てたのがヒンドゥー教徒なので当たり前ですけどね。仏堂内部にそれほど多くのものは残っていませんでした。特に北堂の仏像の損傷は酷く、首から上を欠いていてどなた様かもわからない有様です。これは南堂の中央室内に鎮座する2体の仏像です。左側の金剛手菩薩と右側の観世音菩薩像の間には台座だけが遺されていて、ここに本尊が据えられていたことが想像出来ます。一部破損とかではなくて丸ごとないので、災害や劣化じゃなくて窃盗被害なのかもしれません。f:id:greenbirdchuro:20190623214653j:plain

 

仏像の側面の壁にはろうそくを灯すために設けられた窪みがありました。その手前の空洞にもきっとなんらかの仏像が据えられていたのではないかと思います。f:id:greenbirdchuro:20190623214703j:plainf:id:greenbirdchuro:20190623214708j:plain

 

 

次に向かったのはカラサン寺院です。プラオサン寺院から車で10分ほどジョグジャカルタ市内側へ戻ったところにありました。この寺院は、建立の経緯を示す碑文が出土しているので、778年築のジャワ最古の仏教寺院であることがわかっています。その碑文によるとどうやらここもヒンドゥー教徒の王と仏教徒の王女の結婚がキッカケで建てられた仏教寺院のようです。


整備された庭園の中に、ポツンとお堂がひとつ残るのみになっていました。現在残っている建物は、9世紀前半の増築部分にあたります。増改築したヒンドゥー教の古マタラム王朝によってヒンドゥー教的な装飾がどんどん加えられていったようで、現在のカラサン寺院はほぼ完全な折衷様式と言えそうです。これは北西面の角を写したものです。f:id:greenbirdchuro:20190623215151j:plain

 

ヒンドゥー文化の影響が特に色濃く現れていたのは寺院外壁の美しいレリーフです。南面の大きな石積みの階段の先の入口には鬼面カーラのレリーフがありました。カーラの真下には座禅を組む仏様の姿があり、まさに折衷ですね。f:id:greenbirdchuro:20190623230422j:plain

 

西面には入り口はなく、北面もクローズされていました。東面からは寺院の中にアクセスできそうです。f:id:greenbirdchuro:20190623215329j:plain

 

ただし、階段の形を成していない険しい石段を登らなくてはいけません。踏み外して転げ落ちるか、踏んだところが崩れて転げ落ちるか・・・危険な匂いがプンプンします。f:id:greenbirdchuro:20190623215333j:plain

 

危険を冒して石段を昇り、内部を見ることが出来ましたが、石積みの主祭壇は完全崩壊していて、無理して登ることもなかったなという感じでした。f:id:greenbirdchuro:20190623215154j:plain

 

そうは言っても、八角形のドーム型になった屋根の大きな天蓋の窓から光が差し込む様子にはなんとなく神秘を感じてしまいます。f:id:greenbirdchuro:20190623215158j:plain

 

最後に向かったはサリ寺院です。カラサン寺院からは少し逆走してジョグジャカルタ市内から遠ざかる形になりますが、せっかくだからと運転手さんが連れて行ってくれました。サリ寺院はお隣のカラサン寺院と同時期に建造された小規模な仏教寺院です。

 

上部にはストゥーパが備わっているので、これが仏教寺院であることはわかりますが、これまで見た他の寺院のどれとも似ていません。ピラミッド型でもないし、高い塔があるわけでもないし・・・。この横広い2階建ての建物は仏教僧たちが瞑想や修行を行った宿舎みたいなものだと考えられています。ただ、中央と左右の3室に分かれた堂内には仏像の姿はありませんでした。f:id:greenbirdchuro:20190623215322j:plain

 

それにしても壁面に施されたレリーフの美しさは僧侶の宿舎にしておくには勿体ない!カラサン寺院と同時期に造られたものならば相当に古いはずなのに全面に多数のレリーフがくっきりと残されています。f:id:greenbirdchuro:20190623215342j:plain

 

漆喰でコーティングされた部分が白っぽくなっていますが、菩薩像の豊満な胸、くびれた腰、すらりと伸びた脚・・・現代でも通じる美しいプロポーションです。f:id:greenbirdchuro:20190623215350j:plain

 

そしてこのくねるような艶めかしい腰つき。わたしが僧侶ならこんなところにいたら煩悩を捨てることなど出来ない気がしますけどね。f:id:greenbirdchuro:20190623215337j:plain

 碑文情報によると、シャイレーンドラ王朝が古マタラム王国の王にカラサン寺院とセットでの建造をお薦めしたんだとか。王と王妃の結婚キッカケとは言え、仏教徒ヒンドゥー教徒に仏教寺院を作らせるのは、なんかちょっと違うんじゃない?と思うんですよね。自主的に作ったものならそこに愛を感じますが、このケースはなんだか義父が娘婿に自分の主義を強要したみたいなニュアンスを感じてしまいます。まぁ、これも本当のところはわかりませんけどね。

 

他の方の最近の旅行記を読んでみると、わたしが旅行した2014年は立ち入れない場所が多かったことに気が付きます。長い時間をかけて修復していた途中だったのに、大地震のせいでどの寺院も完全体から遠のいてしまっていたようです。制限は多かったものの、それぞれの寺院に特徴があり、味わい深く飽きずに見学することができました。

 

 


 

 

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