時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

コルドバ歴史地区 前編(旧ユダヤ人街からメスキータ)

見るからに新しいピカピカのマラガ・マリア・サンプラーノ鉄道駅にやってきました。まだ時間が早いこともあってひと気が少ないですが、このターミナル駅はスーパーマーケットや飲食店街があるだけでなく、ショッピングモールとも繋がった複合施設になっています。f:id:greenbirdchuro:20190811175551j:plain

 

あらかじめWebで購入していたチケットでお馴染みのスペイン国鉄の列車に乗り込みます。ここから次の街コルドバまで高速鉄道AVEでわずか1時間の旅です。f:id:greenbirdchuro:20190811175557j:plain

 

あっという間に到着したコルドバ。クリスマスから1週間は経つというのにこちらもまだまだクリスマスムード。中華圏だと旧正月まで続くことも珍しくないクリスマスシーズンですが、スペインではいつまでこのツリーが飾られているか見届けてみたい気持ちになってきます。f:id:greenbirdchuro:20190811175602j:plain

 

ホテルにチェックインを済ませると、さっそくの街歩きを開始しました。コルドバ最大の見どころであるメスキータを目指して市街地を南下していくと、いつしかメスキータの北側に広がるユダヤ人街に紛れ込みます。迷路のように入り組んだ細い路地の両側に、土産物屋や飲食店の入った白塗の壁の建物が続き、その壁には花の鉢植えが飾られています。アンダルシア地方特有のかわいらしい風景に心が躍ります。f:id:greenbirdchuro:20190811182952j:plain

 

ここにはかつて多くのユダヤ人が住んでいました。イスラム支配時代に西カリフ帝国の政治経済を支える存在として厚遇されたユダヤ人は、キリスト教支配下になった当初もその地位を保っていました。しかし、1492年にカトリック両王ユダヤ人追放令を発布したことで状況が一変。この街から彼らは姿を消してしまいました。f:id:greenbirdchuro:20190811182948j:plain

 

ユダヤ人街の中で最も有名なスポットは、花の小路と呼ばれる小さな袋小路です。ベラスケス・ボスコ通りの右手にある狭い路地に入るとひときわ鮮やかに花の飾られた白壁の細道があります。さらに進むと袋小路になった突き当りには噴水と土産物屋。そこまで行って一気に振り返ると、歩いてきた美しい細路の間にメスキータのミナレットがそびえているという感動的な景色に出会えます。真冬でこの彩りですから、春になったらどれだけ花が咲き乱れるのか・・・。f:id:greenbirdchuro:20190811182956j:plain

 

ユダヤ人街を抜けて、いよいよ憧れのメスキータに入場です。

 

スペイン語のモスクを意味するメスキータは、コルドバ聖マリア大聖堂を指す固有名詞でもあります。そうなると、世界遺産にも登録されているこのメスキータはモスクなのか?カテドラルなのか?という疑問が生まれてくるのは自然な流れ。それを解き明かすためにはコルドバの歴史に対する理解が必要になります。

 

ローマ時代から属州の首都として栄えていたコルドバは、711年にジブラルタル海峡を渡ってアフリカ大陸から侵攻してきたイスラム教徒によって征服され、756年に成立した後ウマイヤ朝の首都となって以降、益々の栄華を極めていきました。コルドバに大きなモスクが必要だと考えた指導者(カリフ)のアブド・アッラフマーン1世が、西ゴート王国支配時代に聖ビセンテ教会があった場所を買い取ってモスク建設を開始したのは785年のことでした。小規模だったモスクは、イスラム教徒の増加と共に拡張工事が繰り返され、10世紀末には数万人を収容できる巨大モスクになっていました。しかし13世紀のレコンキスタによってカスティーリャ王国イスラム教徒からコルドバを奪還すると、巨大モスクはカトリックの教会堂に転用されるようになっていきます。モスクの内部に作られた礼拝堂で日曜日にはキリスト教徒が礼拝をし、金曜日にはイスラム教徒が集団礼拝をするというように共存の時代がしばらく続きましたが、16世紀にスペイン王カルロス1世がモスクの中央部にゴシック様式ルネサンス様式の折衷様式の教会堂を建設したことで、1つの空間に2大宗教の礼拝堂が混在する世界でも稀に見る不思議な建築物が出来上がったというわけです。

 

モスク時代の指導者アブド・アッラフマーン3世の時代に建設されたミナレットは、低層建築の多いコルドバの市街地ではひときわ目をひきます。ミナレットの内部にある203段のらせん階段を登れば上部のバルコニーに上がることができます。f:id:greenbirdchuro:20190811174716j:plain

 

塔の上部に複数の鐘が設置され、尖塔の先にはコルドバ守護聖人ラファエルの像が据えられています。そうなんです!ミナレット(モスクに付属する塔)とは呼んでいますが、高さ54mの塔のうち、モスクの時代のものは40mの高さの四角柱までで、その上に付け足された14mの円柱部分がレコンキスタ以降に付け足された鐘楼(キリスト教会)になっているんです!f:id:greenbirdchuro:20190811180407j:plain

 

10m程度の高い塀で囲われたメスキータの外側をぐるりと1周してみると、イスラムの装飾が施された美しい門を見ることができます。西側の壁にあるサン・ミゲル門の扉の上には馬蹄型アーチがあり、さらにその上に交差型アーチ、扉の左右に多弁型アーチがある特徴的な装飾がされています。f:id:greenbirdchuro:20190811213225j:plain

 

北側にある免罪の門は、幾何学模様の漆喰装飾のアーチの上にキリスト教の装飾が施された大きな門です。免罪の門をくぐった場所にチケットカウンターがありました。f:id:greenbirdchuro:20190811213325j:plain

 

オレンジ・コートと呼ばれる中庭には、糸杉とオレンジの木が植えられていて、オレンジの甘酸っぱい香りが鼻をくすぐります。この前庭は、かつてイスラム教徒がお祈りの前に身を清める浄めの庭でもありました。石畳の庭に設けられた水路とこのアルマンソールの井戸にその名残が見られます。f:id:greenbirdchuro:20190811174754j:plain

 

回廊に囲まれた中庭ははいかにも聖堂のそれらしく見えていますが、建物と中庭とを隔てる壁はレコンキスタ以降に造られたもので、モスク時代にはなかったものでした。礼拝の間が開放された中庭にはナツメヤシや月桂樹が植えられていて列柱の森とひと続きに見えるような造りになっていたそうです。f:id:greenbirdchuro:20190811174759j:plain

 

大聖堂の改築時にも塞がれなかったシュロの門(栄光の門)からメスキータの中に入っていきました。入場してすぐ目に飛び込んでくるのが、赤と白の美しいアーチがずらりと並ぶ幻想的な円柱の森(礼拝の間)です。アーチの列はメッカの方向に対して垂直になっていました。入口からすぐのエリアが、785年にアブド・アッラフマーン1世によって建設された初期の部分になります。よく見ると馬蹄形のアーチが載った大理石柱のデザインや色にバラツキがあることに気がつきます。これは、建築費用を抑えるために各地にあるローマ神殿の大理石柱などを集めて再利用したためです。f:id:greenbirdchuro:20190811175045j:plainf:id:greenbirdchuro:20190812002856j:image

 

天井を高くするため赤いレンガと白い石灰岩が交互に配置された馬蹄型のアーチが2重になっています。緻密な計算により設計されたこの2重アーチは、ローマ時代の水道橋をモデルにしたと言われています。どおりで、どこかで見たことがある気がしてました。コルドバの発展につれてイスラム教徒が増え、モスクが手狭になったため、複数回の増築が繰り返されていますが、基本的には当初の建築構造を引き継いでいるので、初期の雰囲気が上手に残されています。それでも、近くで見るとアーチの赤白ストライプが塗料で描かれていることに気がついてしまって趣ダウンは否めませんが。f:id:greenbirdchuro:20190811175059j:plain

 

初期の円柱の森のあたりで床に目をやると、ガラス越しに地下のモザイクタイルを見ることができます。これはメスキータが建てられる前にあった西ゴート王国の教会ビセンテ教会の遺跡です。つまり、メスキータの中でこの場所が一番古いということになります。f:id:greenbirdchuro:20190811181428j:plain

 

通常の大聖堂では翼廊や側廊に並ぶ小礼拝堂がここでは壁際に造られています。その数は50近くもあるとか。アーチが並ぶ円柱の森はいかにもイスラム教的なのに、その壁にキリスト教の小礼拝堂がいくつも並んでいるというこのメスキータならではのミスマッチに戸惑いとワクワクの両方を覚えます。f:id:greenbirdchuro:20190811222838j:plainf:id:greenbirdchuro:20190811222842j:plainf:id:greenbirdchuro:20190811222655j:plainイスラム教建築のアーチの上にキリスト教建築のヴォールトが載っているというたまらない違和感です。f:id:greenbirdchuro:20190811214143j:plain

 

アルハカーム2世の時代に拡張されたスペースにあるミフラーブへと続く中央身廊は美しい多弁型2重アーチで囲まれています。人だかりのできているミフラーブに吸い寄せられそうになりますが、ここで左側の壁に視線を向けると、この場所がレコンキスタ後に造られたキリスト教ビジャビシオサ礼拝堂になっていることに気がつきます。礼拝堂の十字架が掲げられた周囲は、イスラム様式の多弁型二重アーチで囲まれています。f:id:greenbirdchuro:20190811214311j:plainf:id:greenbirdchuro:20190811214316j:plain

 

ミフラーブとカテドラルの聖歌隊室の間に造られたこの礼拝堂の身廊はキブラの壁に平行になっています。メスキータ内に造られた最初のキリスト教の聖堂なんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190811211435j:plain

 

すでにメスキータの虜になっていますが、見どころはまだまだ続きます。

 

スペイン製 ガイドブック コルドバ のすべて TODO CORDOBA スペイン語版 写真集 seu-cor-sp

スペイン製 ガイドブック コルドバ のすべて TODO CORDOBA スペイン語版 写真集 seu-cor-sp

 
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