時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

女神の支配するパラントゥリティス海岸

 

 

ジョグジャカルタ最終日、せっかく東南アジアまで来たので、少しくらいはビーチリゾート気分を味わいたい・・・ということで、ジャワ島の南端にあるパラントゥリティス海岸まで行ってみることにしました。

 

パラントゥリティス海岸へは街の南側にあるギワガンバスターミナルからローカルバスが出ています。ギワガンバスターミナルは、中長距離バスも出る市内随一のバスターミナル・・・のはずですが、田舎のロータリーみたいな場所にボロボロだけどカラフルにペイントされたミニバンが数台並んでいて、想像とは違ったところでした。バスとは名ばかりのバンに乗車し、本当にこの車でたどり着けるのか・・・という一抹の不安を胸にジャワ島の南端にあるインド洋の海岸を目指して出発しました。f:id:greenbirdchuro:20190625183126j:plain

 

市内を抜けると、所々で乗客をピックアップしたり、降車させたりしながら農地や荒野が広がる東南アジアらしい風景の中をドアを開けたままでひた走って行きました。市内を出て1時間ちょっとが経った頃には地元客の乗り降りもひと段落。道中には乗車率150%くらいの時もあったのに、バスがパラントゥリティスの手前にあるオパック川を渡る頃には乗客はわたし一人になっていました。f:id:greenbirdchuro:20190625183245j:plain


海岸の近くのバス停に着くと、海は見えなくても波の音が聞こえてきて、インド洋がすぐそこに迫っていることがわかります。運転手からは乗車時に言われた倍の運賃を請求されましたが、周りに人気がなかったのでここで抵抗してややこしいことになってもあれだしな・・・と不満を精一杯アピールしながら支払いました。いたいけな観光客にボッタクリなどという蛮行を働くなんて、そこにおわす前の副知事のパク・アラム8世も嘆いていることでしょうよ。f:id:greenbirdchuro:20190626150555j:plain

 

そこから徒歩3分。目の前には白波を立てて荒れ狂うインド洋が広がっていました。荒波の発するゴォーゴォーという音は獣の唸り声のように凄まじく、台風の中に立っているようです。灼熱の太陽が照りつけているのに、目を開けて居られないほどの強風が吹いているという環境がそこにはありました。砂嵐に巻き込まれるとこんな感じなんでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190626104222j:image

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パラントゥリティスのあるジャワ島南海岸部ではインド洋を支配しているという南海の女神ラトゥ・キドゥルが広く信仰されています。この女神の前身(?)は、10世紀頃のパジャジャラン王国に実在した王女ニャイ・ロロ・キドゥルです。父王の薦める縁談を断った罰として海底宮殿に閉じ込められてしまった王女がインド洋の女神の正体です。艶やかな緑色の髪を持った女神は貝や海藻を身にまとったセクシーな姿で若者を誘惑し、海に引き込むという悪癖もあった様子。しかし、そんな女神にも運命の出会いが訪れました。お相手は浜辺で瞑想に耽っていた新マタラム王国のセノパティ王。恋の落ちた二人は電撃結婚!!巡り会った運命の人はだいぶ年下(600〜700歳くらい年下)だったけど、政略結婚を断って孤独な神様生活を続けてきた甲斐がありました。以後、マタラム王国の子孫は女神の庇護を約束されているとかで、今でもジョグジャカルタの人々は、歴代の王様と海の女神は王宮からパラントゥリティス海岸まで続く秘密の地下道を通って契りを結んでいたと信じているんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190625191215j:plain

 

女神が幸せを掴んだからと言ってパラントゥリティスの海が穏やかになったわけではないようです。潮の流れが早いパラントリティスでは海岸での遊泳が禁止されています。島育ちのわたしにしてみれば、泳いではいけない海にどんな楽しみがあるのかと思いますが、人々は思い思いの過ごし方で海を楽しんでいました。f:id:greenbirdchuro:20190626150930j:plain


なだらかな砂浜の海岸がどこまでも続いています。観光客をターゲットにした馬車の営業はなかなかの激しさでしたが、根気よく断り続けました。バスでボラれたばかりで心がささくれていたし、どこまで行ってもどうせ同じ景色だろうと思ったからです。f:id:greenbirdchuro:20190625182504j:plain

 

読書しようにも強風で読みたいページが開けません。せめて海辺のカフェでゆっくり海でも眺めてみるかと思いましたが、口に含んだコーヒーのジャリジャリ感が、インドネシア特有の粗挽きコーヒーのものではなく、強風で入り込んだビーチの砂にしか思えなくて・・・。捨てるのはもったいないので、コーヒーが撹拌されないようにそっと上澄みだけを啜って帰ってきました。

 

予想とは違ったビーチでしたが、初めて見たインド洋に大自然雄大さや恐ろしさを感じました。帰りのバスは行きとは違う車体だけど同じくらいオンボロバスでした。日本円に換算したら大したことないけど、またボラれたことは言うまでもありません。

 

ジョグジャカルタ市内に戻り、最後にもうひと街歩きです。マリオボロ通りは相変わらずの賑わいで、お土産のバティックを何点か購入しました。f:id:greenbirdchuro:20190626000755j:plain

インドネシアはコーヒー豆の一大産地でもありますが、特に有名なのは、ジャコウネコの糞の中からとりだした未消化のコーヒー豆で淹れるルアック・コーヒー。生産量が少ないので、世界で一番高価なコーヒーとして知られています。ショッピングモールの中でルアック・コーヒーを飲めるカフェを見つけました。独特の香りがして、やや酸味の強い複雑な味わいでした。f:id:greenbirdchuro:20190626100831j:image

 

灼熱の太陽を避けるように広い歩道の木陰で涼をとる人々の奥には19世紀に建造されたジョグジャカルタ大統領宮殿が見えています。前庭には王宮やセウ宮殿でも見たクペラ(ドワラパラ)らしき守護神が鎮座しているのが見えていました。内部には独立戦争の際の軍の司令官室もあるそうです。f:id:greenbirdchuro:20190626000804j:plain

 

街を南北に貫くマリオボロ通りと、王宮前を東西に走るパヌンバハン通りの交差点はジョグジャカルタ0km地点とされ、名実ともに街の中心です。周囲にはオランダ支配下時代の要塞や当時を彷彿とさせる歴史ある建物が並び、常に人でごった返していました。f:id:greenbirdchuro:20190626000811j:plain

これは、オランダに対してジョグジャカルタ奪還作戦を行った1949年3月1日を記念したモニュメントです。インドネシア軍がスディルマン司令官の指揮下で展開したゲリラ戦はオランダ軍の士気を著しく低下させました。この出来事が数ヶ月後のインドネシア共和国独立に繋がる重要な局面だったようです。f:id:greenbirdchuro:20190625233512j:plain

1949年3月1日のモニュメントの向かいに建つBNI(バンクネガラインドネシア)銀行の建物には、オランダによる植民地支配の名残が色濃く残っています。ちなみにインドネシアで一番大きな銀行だそうです。f:id:greenbirdchuro:20190626000544j:plain

すれ違うのは野良犬だけという、東南アジアらしい風情のある路地ともそろそろお別れの時です。f:id:greenbirdchuro:20190626000821j:plain

 

 


 

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