断崖の上に築かれた絶景の街 ロンダ
ロンダ駅から真っ直ぐ伸びるマルティネス・アステイン通りを南下し、新市街の繁華街エスピネル通りに入ります。モザイクタイルの貼られたお洒落な通りは、アンダルシアで最も長い歩行者天国。閑散とした駅周辺とは対照的にとても賑わっています。
通りの突き当たりにある円形ドームの白い建造物はロンダ闘牛場です。近代闘牛の生みの親フランシスコ・ロメロの出身地にして、闘牛発祥の地として知られるロンダにスペイン最古の闘牛場が完成したのは1785年でした。直径約66mの円形ドームの中には5000人もの観客を収容することができます。
闘牛場のお隣の三木春日広場にはアーネスト・ヘミングウェイの像がありました。 著名人が1度でも訪れると〇〇が愛した街PRが始まるというよくあるパターンかと思いましたが、保養地だったロンダに彼がしばしば訪れ、前述の闘牛場に足繁く通っていたというのは事実のようです。ヘミングウェイがスペイン内戦を描いた「誰がために鐘は鳴る」の舞台にもなっていますしね。
広場の先には展望台がありました。城壁で守られた市街地の外は切り立った崖で、眼下には田畑や原野のパッチワークがどこまでも広がっています。そのはるか向こうにシエラ・デ・グラサレマの山々が見えています。
展望台から左手を見ると、荒々しい岩山の上に築かれたロンダの町並みが見渡せます。手前の新市街側の絶壁の上に建っているパラドール (国営ホテル)は、1761年に建てられた昔の市庁舎を改装したものです。 奥に見える旧市街側の垂直に切り立った岩山の上には張り付くようにアンダルシアらしい白い家々が建ち並んでいました。
パラドールのそばまで足を進め、新旧の市街地を隔てるタホ渓谷をのぞき込むとその深さに足がすくみそうになります。紀元前数世紀にケルト人によって作られたロンダは、時の支配者によってローマの砦になったり、アラブの砦になったりしてきました。自然によって波打つような模様が刻まれた巨大な岩山の断崖の迫力に圧倒されます。長い歴史の中でこの場所が要塞となってきたのも必然の流れと言えます。
ヌエボ橋は、新市街と旧市街を最短距離で結ぶためにタホ渓谷にかけられた石橋です。1751年から建設が始まり、1793年に完成しました。建設に40年以上の歳月を費やした理由は、単に橋を架けることが難しかったからだけではありません。実は、現ヌエボ橋の前に8か月ほどの工事期間で造られた橋が数年で崩落して多くの犠牲者を出すという悲しい事故があったからです。悲劇の舞台となることが二度とないような強固な橋を造らなくてはならないという人々の強い思いが込められています。
映画「アンダルシア・女神の報復」の舞台なったことで一躍有名になりましたよね。
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旧市街側にわたってすぐ右手の小路から渓谷に延びる坂を降りていきます。写真を撮ってもらった時はまだまだなだらかな階段でしたが、100mも下の渓谷に降りるわけですから、これで済むはずがありません。この後しばらくは急峻な下り坂が続きました。
坂道を下る途中のビューポイントからの堂々とした佇まいはまるで天空に浮かぶ要塞といった感じです。標高750mの岩山の上にある新旧の市街地、それを隔てる深い渓谷、渓谷からそびえ立つ高さ100mの堅牢なロマネスク様式の石橋、これらが作り出す壮大な景観には、美しさだけでなく、神々しささえありました。
さらに細い道を進み、渓谷を流れるグアダレビン川を目指します。
ヌエボ橋の真下までやってきました。200年以上前のクレーンや重機がない時代に人の力で石を積み上げてこの巨大で美しい橋を造ったのかと思うと、当時の人々への尊敬の念を禁じえません。
谷の奥深くに行くほどに崖は高く立ちはだかり、渓谷から見上げた景色はもはや橋というより別世界に繋がる門のようです。まるでロード・オブ・ザ・リングの世界に迷い込んだような気持ちになります。橋の中央アーチにある窓付きのスペースはかつて牢獄やレストランとして使われてきましたが、現在は博物館になっているそうです。
シエラ・デ・ラス・ニエベス山脈を源流とするグアダレビン川の流れは大河というよりせせらぎのそれです。およそ5000万年の年月をかけているとはいえ、この川が石灰岩を浸食してこのタホ渓谷を造ってきたという事実はにわかには信じられません。
迷路のような旧市街を縫うように歩いてアラブ浴場に到着しました。イスラム支配下にあった13~14世紀のナスル朝時代に建てられた公共浴場の跡です。
映像やパネルで入浴法や浴場内の設備について解説されていました。浴場とは言ってもイスラムスタイルですから、スチームサウナで温まった後にあかすりをしてもらって汚れを落として入浴完了するいわゆる「ハマム」のようなものです。湯船らしきものもあったようですが、浸かるというより汚れを流すためのものだったと思われます。
広々とした内部の空間は、馬蹄形のアーチに支えられた高い天井から取り入れた自然光でほんのりと照らされ、リラクゼーションにはほどよい絶妙な採光具合です。正直なところ、外観を見た時は内部にこれほどの遺跡があるなんて期待していませんでした。キリスト教徒が街を奪還した後も破壊されずに残っていたことと、長い年月が経過しているのに保存状態が良好であることにびっくりさせられます。
アラブ浴場は川からくみ上げた水を焚き上げたスチームサウナですから、敷地の低層階はグアダレビン川に面しています。ほとんど流れがないように見えますが、タホ渓谷のゴツゴツした岩肌が丸みを帯びているのも川による長期の浸食の影響ですね。
イスラム式の庭園になった浴場の中庭からはロンダの郊外の景色を眺めることが出来ます。グアダレビン川の水の供給源となっているシエラ・デ・ラス・ニエベス山脈の山並みが美しく雄大です。
スペインには「白い街」を売りにしているところがたくさんありますが、ロンダもなかなかの白い街っぷりですね。
クエスタ・デ・サント・ドミンゴ通りの坂を下るとフェリペ5世の門が見えてきました。フェリペ5世統治下の1742年にアラブ時代からあった門を立替えたものです。
フェリペ5世門の先にイスラム支配時代に造られたビエホ橋が見えてきました。新しい橋という意味のヌエボ橋に対し、ビエホ橋には古い橋という意味があります。名前通り、ヌエボ橋よりもだいぶ前の1611年にローマ時代の石組の上に造られています。
こちらの渓谷のなかなかの景色です。ビエホ橋も30mほどの高さがありますから、ヌエボ橋を先に見ていなかったらもっと感動したかもしれません。ちなみに新市街と旧市街を分断する深い渓谷には3つの橋がかかっていて、最古のものはビエホ橋よりもう少しだけ上流に位置するサン・ミゲル橋だそうです。
橋を渡った先にあった市街地を散策するのはなかなか楽しいものでしたが、白壁が続く街並みは目印がないので迷子になると大変です。Googleマップがなかったらわたしもどうなっていたことか・・・。
アフリカ大陸のモロッコを目指して意気揚々とマラガを出発しましたが、強風でジブラルタル海峡を渡れなかったおかげで、自然と人がともに造り上げた予想以上の絶景に出会うことができました。
アンダルシアの旅はまだまだ続きます。