時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

コスタ・デル・ソルの中心都市マラガ

市街地を西に向かって進むと古代ローマ劇場が見えてきました。紀元1世紀にアウグストゥス皇帝によって建設され、 3世紀まで使用されていた由緒ある劇場です。この半径31m・高さ16mの大きな劇場は、ちょっとしたイベントならこのままでも使えそうな感じですが、何世紀にもわたって土の中に埋もれていたのを、ごく最近の1951年に発見されたばかりなんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190807210522j:plain

 

ローマ劇場は無料公開されているので、公園のベンチのように利用する人も多いようです。ぜいたくな時間の過ごし方ですね。劇場の観覧席の背部には隣接する城砦(アルカサバ)が見えています。f:id:greenbirdchuro:20190807210526j:plain

 

アルカサバと言えば真っ先にアルハンブラ宮殿を思い浮かべますが、もともとは城砦のことなので、当然ながらスペイン国内のあちこちに存在しています。マラガのアルカサバが初めて要塞として機能したのは、紀元前のフェニキア人の時代でした。現存するアルカサバはローマ時代の要塞を基にして、グラナダアルハンブラ宮殿よりも先のイスラム教徒統治時代の11世紀に建てられたものです。f:id:greenbirdchuro:20190807210530j:plain

 

アルカサバの入り口は、ローマ劇場横のインフォメーションのすぐ近くにあります。山の斜面に沿ってオレンジの木が並ぶ石畳の坂道を、眼下に広がる景色を楽しみながらゆっくりとを登っていきます。f:id:greenbirdchuro:20190807210642j:plain

 

このアルカサバが建設された11世紀のアンダルシアはコルドバ最盛期とグラナダナスル朝の間の混乱の時代にありました。当然ながら、先に建設されたアーチのデザインなどは後世に建設されるアルハンブラ宮殿よりもむしろコルドバのメスキータに近い印象があります。よく見るとアーチを支える大理石柱の中には、ローマ劇場の柱を転用したものが含まれていて、ちぐはぐなところがありました。f:id:greenbirdchuro:20190807210653j:plainf:id:greenbirdchuro:20190813115814j:plain

 

この小さくも美しい中庭にはアルマス広場という大層な名前がつけられています。このアルカサバが増改築された13世紀当時のマラガは、グラナダ同様にナスル朝統治下にありました。増改築によって塔や城壁などの防衛機能の強化がなされただけでなく、宮廷としの機能が加えられ、中庭や池などが美しく整えられていきました。アルハンブラ宮殿ほどの華美さはありませんが、庭園や噴水を見ると、小アルハンブラであることは疑いようもありません。f:id:greenbirdchuro:20190807210650j:plain

 

もともと要塞なので見晴らしが良いのは当たり前ですが、このアルカサバは地中海やマラガ市街地の景色を見渡せる絶好の展望台です。かつての見張り台の向こうには、青い地中海と多数のヨットやクルーズ船が停泊するマラガ港が見渡せ、まさにコスタ・デル・ソルという景色がありました。今やリゾート地として有名なマラガですが、良港のおかげでローマ時代から現代にいたるまで地中海貿易の中心でもありました。f:id:greenbirdchuro:20190807210658j:plain

 
アルカサバからヒブラルファロ城に向かいました。ヒブラルファロ城はアルカサバ補強のための要塞として同じくイスラム教徒支配時代の14世紀に建てられました。かつての両者は城壁でつながっていて、コラチャと呼ばれる通路で行き来ができたそうですが、現在では、建物同士はすぐ近くにあるものの入り口の位置はヒブラルファロ山の上と下という風に離れた場所に位置していて移動のための上り下りは避けられません。アルカサバ沿いの坂道をヒブラルファロ城に向けてひたすら登って行きます。f:id:greenbirdchuro:20190807211347j:plain

 

ヒブラルファロ城が建てられた14世紀と言えば、ナスル朝が最も栄えた頃です。アルハンブラ宮殿のコマレス宮などを建てたことでも知られるユスフ1世は、大昔からあった要塞をナスル朝スタイルに作り替え、アラビア語で「灯台のある山」を意味する名前を付けました。カトリック両王によってマラガが陥落した後、フェルナンド王はヒブラルファロ城をマラガの紋章に指定しています。支配者が変わってもこの街にとって象徴的な建築物であったことには変わりなく、現在のマラガの紋章の中央にも地中海を前にそびえ立つアルカサバとヒブラルファロ城が描かれています。f:id:greenbirdchuro:20190807211353j:plain

 

城の中には武具や銃などを展示した小さな博物館がありました。f:id:greenbirdchuro:20190807211400j:plain

そして、マラガの街の模型。旅のスタートに眺めるには最適です。f:id:greenbirdchuro:20190807211404j:plain

 

眼下にはギリシャ神殿のような立派な建物が見えています。これは、1919年に開業したマラガ市庁舎で、ゲレーロ・ストラチャンとリベラ・ベラの作品です。市庁舎の前にはかつての市長の名前を冠したペドロ・ルイス・アロンソ庭園があります。庭園のデザインが、樹木を幾何学模様に配置した左右対称であることもイベリア半島が長くイスラム支配下にあったことを実感させます。f:id:greenbirdchuro:20190807211413j:plain

 

城壁の向こうにはマラガの街並みが広がっています。街の背後に迫った美しい山並みで、この街が海にも山にも近いことがわかります。f:id:greenbirdchuro:20190807211102j:plain

 

旧市街でひときわ目立つのはマラガ大聖堂です。近くで見たときは違和感を感じませんでしたが、こうして全体を見ると、確かに塔が北塔の1本しかないのはバランスが悪いようにも見えます。片腕の貴婦人のままで良しとするか、貴婦人にもう1本の腕をつけるのか、マラガ市民の議論は今後も続いていくことでしょうね。f:id:greenbirdchuro:20190807211110j:plain

 

眼下には幼少期のピカソが父親に連れられて訪れたというマラゲータ闘牛場が見えています。わたしが始めて闘牛を見たのはもう10年も前のことですが、あまりに残酷で最後まで直視することが出来なかったので、わたしよりもずっと多感に思える幼少期のピカソが闘牛を楽しんでいたかどうかは甚だ疑問です。闘牛場の奥には街から最も近い砂浜のビーチが広がっているはずですが、闘牛場を取り囲むように建つ高層ビルのせいでマラゲータビーチの姿は確認できません。f:id:greenbirdchuro:20190810090337j:plain

 

風が強くなってきたので山からおりてきました。

 

メルセー通りの角にはcasas de campos(田舎の家々)という通称をもつひと続きになった大きな建物があります。マラガの中心地に近い場所に位置しているにも関わらず田舎の〜と呼ばれている理由は不明ですが、黄色の装飾アクセントが入った白壁の建物がコスタ・デル・ソルの青空によく映えています。この建物は、20世紀最高の画家のひとりに数えられるパブロ・ピカソが、この世に生を受けた1881年からスペイン北部ガリシアア・コルーニャに移る1891年までの幼少期の10年間を過ごした生家として知られています。1988年から博物館として公開されていて、1階はギャラリーとミュージアムショップ、2階はピカソが暮らした当時の様子を再現したものになっています。f:id:greenbirdchuro:20190807211820j:plain

 

幼少時代のピカソは、生家の前のメルセー通りでよく鳩と戯れていたそうです。アトリエでも鳩を飼っていて、自分の娘にもスペイン語で鳩を意味するパロマという名前を付けていることから鳩に対する思い入れの深さが伺えます。1949年にパリで開かれた第1回国際平和会議のポスターを手がけたピカソは、オリーブの葉を咥えた鳩を描きました。このことによって鳩が平和の象徴であることが世界中に知られるようになっていったようです。幼少期のピカソノアの方舟の話から鳩が平和の象徴であったことを認識していたかどうかはわかりませんが、彼にとっても幸せな子供時代を象徴する動物なのかもしれません。f:id:greenbirdchuro:20190810084041j:plain

 

さらに歩いて5分ほどのローマ劇場跡の向かいあたりにピカソ美術館がありました。ルネサンス様式とムデハル様式を融合させた16世紀のアンダルシア風建築です。91歳で亡くなるまで数多くの作品を残してきたピカソですから、その作品は世界中に点在していますが、このマラガの美術館は「生まれ故郷に自分の作品が留まるように」というピカソの願いをくんだ遺族が中心となって設立したものです。10代の頃に描いた希少な作品を初めとする285点もの作品が展示されています。ピカソの作品はお腹いっぱい見てきたので、ここでは入場しませんでしたが、彼の作風の変化を知る上では最適な美術館だと思われます。f:id:greenbirdchuro:20190807212031j:plain

 

夜になると市街地には、いったい昼間はどこに隠れていたの?というくらいの人が現れて、とても賑わいます。みんなのお目当てはバルでの1杯、2杯、3杯・・・。f:id:greenbirdchuro:20190807212806j:plain

 

旅行中はスペインのバル文化も楽しんでみたいと思っています。

 

CREA Due Traveller「最愛スペイン」

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Lais Puzzle マラガ 2000 部

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