時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

イエス・キリスト生誕の地「ベツレヘム」

朝早くにベツレヘムに向かいました。ベツレヘムは、ヨルダン川西岸地区南部にある3万人超が暮らすベツレヘム県の県都です。第3次中東戦争以降、イスラエル占領下にありましたが、1995年にパレスチナに返還され、現在はパレスチナ自治政府が治めています。未だに国際的にも微妙な立場にあるベツレヘムですが、世界最古のキリスト教共同体が存在していたことが知られていて、イスラム教徒が多数を占めるパレスチナの中にあって今でも最大のキリスト教コミュニティーが存在しています。

 

ベツレヘムイスラエルとの境界に築かれたコンクリート製の分離壁が見えてきました。ベツレヘムに入るには、あの壁にある検問所を通らなくてはならなりません。返還後もイスラエルとドンパチやってるみたいだし、 刑務所を思わせるような高い壁のせいで物々しい雰囲気はありますが、主要産業は観光業なので、わたしのような見るからに観光客といった風体の外国人の出入りはそれほどハードルが高くないようです。10kmほどしか離れていないエルサレムにある職場に出勤して、夕方にベツレヘムの自宅に帰宅する勤め人も多いようでした。歴史を考えると当たり前ですが、出入りのハードルが最も高いのはユダヤ人なんだとか。ユダヤ人が崇拝してやまないダビデ王は生まれ故郷の現状をどう思っているんでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190801225633j:plain

 

ベツレヘムの街に入るとアラビア文字の看板が増えてきて、ヘブライ文字を見かけなくなります。ヘブライ文字アラビア文字を併記していることが多いエルサレムとは明らかに雰囲気が違います。「STARS & BUCKS」という名前のカフェ発見!さすが、スタバはこんなところまで店舗展開しているのか!と驚きましたが、ロゴを微妙にパクった別物のようです。ベツレヘムの人々がスタバブランドに魅力を感じているようには思えませんが。
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まず訪れたのはメンジャー広場。広大な広場に面して建つモスクが第2代正統カリフウマル・イブン・ハッターブに由来するジャーマ・アル・ウマルです。高いミナレットが印象的なこのモスクが建造されたのは1860年ベツレヘム最古であると同時に唯一のモスクとして街の中心に君臨しています。f:id:greenbirdchuro:20190801222151j:plain

 

お目当ての生誕教会は、メンジャー広場を挟んでジャーマ・アル・ウマルの向かい正面にありました。名前からわかるようにイエス・キリストがこの世に生まれ落ちたとされる洞穴の上に建てられたという聖地にして、わたしの大好きな世界遺産。339年に建てられた初期の聖堂は火災で焼失してしまいましたが、ユスティニアヌス1世によって再建された6世紀の聖堂は今でも健在。でも、これほどの聖地を1つのキリスト教会派が独り占めすることなど出来るわけもなく、エルサレム聖墳墓教会同様に各会派(ローマカトリックギリシャ正教会アルメニア教会)の共同管理になっています。そして、嘆かわしいことに警察沙汰になることも珍しくないくらい小競り合いしているとか。f:id:greenbirdchuro:20190801222653j:plain

 

聖誕教会の入り口の謙虚のドアは、高さ120cm程度のとても狭いもので、聖堂に入るためには身を屈めなければなりません。騎馬の侵入を防ぐためにオスマン帝国時代に改修されたものです。謙虚のドアというもっともらしい名前は聖堂に入る時の心構えを説いたものとかではなく、後付けされたもののようです。f:id:greenbirdchuro:20190801232929j:image

 

礼拝堂に入ると、中は足場が組まれ(というか足場しかないような状況で)まさに絶賛修復工事中。普段なら運が悪い!とガッカリするところですが、ここに限っては修復工事おめでとうという気分です。各会派の意見がまとまらず長いこと手付かずだった修復工事がやっと始まったのは、2012年の世界遺産登録と同時に危機遺産リスト入りしたのがきっかけです。ユネスコの勧告を受けて政府も介入せざるを得なくなりました。2019年に危機遺産を脱しているので、恐らく工事が終わったんだろうと思います。f:id:greenbirdchuro:20190801223011j:plain

 

ギリシャ正教会の管轄である主祭壇は聖障が立てられ、たくさんのイコンが飾られ、とても煌びやかです。複数の会派が1つの教会に入ると変な競争意識が働くのか華美になる傾向があるような気がします。f:id:greenbirdchuro:20190801223553j:plain

 

修復のための足場が組まれた礼拝堂の床の一部がガラス張りになっていて、コンスタンティヌス帝が建立した当初のモザイク床を見ることができました。デザインや色彩まではっきりと確認でき、1600年以上前のものとは思えません。f:id:greenbirdchuro:20190801223330j:plain

 

イエス・キリストが生誕した洞窟を見るために、祭壇の背部にある地下への階段を降りていきます。f:id:greenbirdchuro:20190801223617j:plain

 

わたしの順番が来て、いよいよイエスが生まれた場所と対面!狭いスペースに燭台が並べられ、大理石の床に銀の十四芒星が嵌め込まれています。イエスが馬小屋で生まれたというのは有名な話ですが、当時の家畜小屋は洞穴にあるのが一般的だったとか。f:id:greenbirdchuro:20190801224056j:plain

 

18世紀にフランスから献上された床の十四芒星が表しているのは、アブラハムから始まって、ダビデ王以降も続くイエス誕生までの世代の数です。他の人のように床に口づけをしたりおでこを擦り付けたりするのは抵抗があったので、跪いて狭いスペースに頭を突っ込んで、とりあえず大きく深呼吸しておきました。f:id:greenbirdchuro:20190801223626j:plain

 

馬小屋なので生まれたてのイエスが寝かせられたのは、ベビーベッドではなくてこの飼い葉桶でした。馬小屋が洞穴というのも現代のわたしたちのイメージからはかけ離れていますが、飼い葉桶も四角い底石の周りに石の壁を立てただけのものです。f:id:greenbirdchuro:20190801224117j:plain

 

聖母子が煌びやかに描かれています。マリアのイエスを見つめる表情がとても穏やかで幸せそう。そもそもナザレ在住のマリアがなぜこの場所で出産することになったかというと、ローマ帝国政府の国勢調査のため本籍地のベツレヘムに呼び出されたからだそうです。ベツレヘムに来たユダヤ人はマリアたちだけではないので、宿泊先を確保が出来ず、頼み込んで宿泊した農家の馬小屋の片隅で出産ということになったわけです。f:id:greenbirdchuro:20190801224308j:plain

 

聖誕教会の中庭に出ると生誕教会と内部で繋がっている聖カテリーナ教会を外観を見ることができました。ローマカトリック教会によって1882年に建造されて以降、改築を繰り返してきたので、とても現代的で美しい外観をしています。淡い色合いのせいか穏やかな雰囲気があるので、この場所が2002年のパレスチナ・ゲリア立て篭もり事件の現場だったとは気がつきませんでした。f:id:greenbirdchuro:20190801225037j:plain

 

屋根の上にはマリア像が、教会の前には聖書学者のヒエロニムスの像が建てられています。ギリシア語、ヘブライ語をはじめとした諸言語に精通していた聖人ヒエロニムスは、全聖書を当時の主要言語であったラテン語に翻訳し、キリスト教を広めるに大きく貢献しました。足元の頭蓋骨は、彼の翻訳を支えた協力者のパウラのものです。f:id:greenbirdchuro:20190801225149j:plain

 

礼拝堂は、カトリック教会にしては飾り立てたところもなく全体的にスッキリとしたデザインです。クリスマスミサには、この場所に世界中のキリスト教徒が集まってきて、祈りを捧げる様子がテレビ中継されるそうですが、キリスト教徒専用チャンネルでもあるのか、今まで見たことはありません。f:id:greenbirdchuro:20190801224341j:plain

 

祭壇の後ろのステンドクラスは、シンプルな身廊の中でひときわ鮮やかに輝いています。イエス生誕に駆け付けた東方三博士が描かれています。彼らが遠方から駆け付けたことを表現するために、聖母子と三博士をそれぞれ左右に寄せて描かれることが多いこのシーンで、聖母子が中央に描かれている非典型的な構図をとっています。f:id:greenbirdchuro:20190801224519j:plain

 

作者や時代は不明ながら他にもこんな作品がありました。f:id:greenbirdchuro:20190801224703j:plainf:id:greenbirdchuro:20190801224707j:plain

 

最後に訪れたのはミルク・グロット教会。5世紀頃のビザンチン教会の跡に1872年に建てられた礼拝堂はよく手入れされていて古さを感じさせないかわいらしい外観をしています。ユダヤの王が誕生したことを知った猜疑心の強いヘデロ王が国中の幼子を虐殺してまわっている間、エジプトに逃れる前のマリアたち聖家族が避難していた場所だと言われています。f:id:greenbirdchuro:20190801225043j:plainf:id:greenbirdchuro:20190801225300j:plain

 

聖母子画が置かれたこの洞穴には、授乳中のマリアが追っ手から逃れるために急いで支度をしている時に溢れ落ちた1滴の母乳によって地面が一瞬でミルク色に変わってしまったという不思議な伝承があります。キリスト教徒に限らず母乳の悩みのある母親たちが世界中からお祈りに訪れているそうです。f:id:greenbirdchuro:20190804210003j:imagef:id:greenbirdchuro:20190801225305j:plain

 

母乳の悩みから派生していったのか、不妊の悩みでお祈りに訪れる人も多いとのこと。f:id:greenbirdchuro:20190801225309j:plain

 

「子供が生まれました報告」のお礼の手紙が壁一面に貼られていました。聖母マリアはともかく、教会の人が読めるとは思えないのですが、日本語の手紙もありました。子宝教会と言ったところですね。f:id:greenbirdchuro:20190801225313j:plain

 

ヘデロ王の故郷でもあり、その子孫に当たるイエス・キリストの生誕地でもあるベツレヘムは、ユダヤとの縁も深い街ですが、エルサレムと同様かそれ以上に歴史に翻弄されてきました。絡み合った歴史や宗教のあまりの複雑さに、みんなが折り合える形がどんなものか簡単には想像もつきませんが、この地域の人々が長く平和に暮らせることを願ってやみません。

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