時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

旧メルボルン監獄で囚人体験

メルボルン監獄は、ビクトリア州立図書館のすぐ北側のビルに囲まれた市街地の中にありました。

 入植によって治安の乱れが生じたこの地域に、イギリスのペントンビル監獄をモデルにした監獄の建設が始まったのは入植開始から6年後の1841年のことでした。完成当初は、留置場・裁判所・女性用刑務所などを内包しつつ、主に刑期の短い軽犯罪を収容するためのコンパクトな施設でしたが、ゴールドラッシュに伴う治安の乱れで、犯罪件数も増加していったため、規模も拡大し、重犯罪者も収監されるようになって行きました。実際にこの監獄内で136名が死刑執行されているそうです。一時期はメルボルンで最大規模の建築物でしたが、1926年の敷地分割でかなりの建物が取り壊され、とうとう1929年には閉鎖。第二次世界大戦中には捕虜収容所としても利用されたこともありましたが、現在では土地のほとんどがRMIT大学の敷地になっています。

 

かつての独房棟だけが残ったビクトリア州最古の監獄は、博物館として生まれ変わり、メルボルンの観光スポットの1つとなっていました。その外壁はメルボルンらしく、ブルーストーンでできていました。f:id:greenbirdchuro:20190721162005j:plainf:id:greenbirdchuro:20190721171443j:plain

 

監獄の中は3階建てになっていました。長い通路の両サイドに監房がずらりと並んぶ様子は海外ドラマで見る刑務所そのものでした。投獄された囚人たちは、まず初めに1階の独房に収容され、態度に問題がないと判断されると2階に移されたんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190721162837j:plainf:id:greenbirdchuro:20190721162841j:plain

 

寝る場所とトイレが置いてあるだけの狭い独房の中には、この監獄の歴史や受刑者たちの受けた刑罰、独房での生活の様子が展示されていました。f:id:greenbirdchuro:20190721174325j:plain


興味深かったのが収容されていた囚人の写真や生い立ち・犯歴の展示でした。その中には、女性として初めてこの監獄で死刑になった夫殺しのリザベス・スコットやイギリスとオーストラリアで自分の家族を次々と殺害し、切り裂きジャックではないかと噂された連続殺人犯のフレデリック・ベイリーのものもありました。霊感なんかないわたしでも、この場所に連続殺人鬼がいたと思うだけ背筋がゾクゾクしました。最も衝撃的だったのが、死刑執行された囚人たちが生活した独居房に彼らのデスマスクが展示されていたことです。

 

ビクトリア州立図書館にその甲冑が展示されているネッド・ケリーが暮らした独居房もありました。犯罪者でありながら民衆に義賊と慕われた彼の死刑判決には80,000人分の助命嘆願書が集まりましたが、死刑を回避することはできず、「人生ってそういうものさ。ああ、こうなるってわかっていたよ。」と言い残して絞首台に登っていったそうです。せめてもの救いは、同時期に投獄されていた母親と最後の別れができたことでしょうか。f:id:greenbirdchuro:20190721163529j:plain

 

絞首刑だったから苦しくなかったはずなどないだろうにネッド・ケリーのデスマスクはなんだか悟りきったような穏やかな表情に見えました。彼が犯罪に手を染めていくきっかけとなった事件が冤罪であったとされるだけに、たかだか25歳の若者の臨終の言葉としては切なすぎて、義賊であったとしても犯罪者であることに変わりはないとわかりつつも世の中の理不尽さを感じました。f:id:greenbirdchuro:20190721163249j:plain

 

 

3階の共用房は釈放間近の者が収容されていたそうです。f:id:greenbirdchuro:20190721162848j:plain

 

実際に死刑が執行されたという絞首台は、監獄内の2階にありました。絞首刑になった136人のうちの4名は女性だったそうです。てっきり絞首台は別の建物か屋外にあるとばかり思っていたので、すぐ近くの房にいる他の囚人たちはどんな気持ちでその時を過ごしたのだろうかと思うと複雑な気持ちです。床が抜けるようになったスペースの梁にロープが括りつけられているだけというこのシンプルさがかえってリアルですね。f:id:greenbirdchuro:20190721184718j:plain


キレイに芝生が敷き詰められた公園さながらの中庭は、塀さえなければ市民の憩いの場になりそうな雰囲気でした。海外ドラマの中で、囚人が捜査協力への見返りに窓のある房への移動を望むシーンを見ることがあります。中庭に面した監獄の壁に並ぶ小さな窓から見える単調な景色さえ、彼らにとっては、季節の移ろいを感じることができるとても貴重なものだったのでしょう。f:id:greenbirdchuro:20190721163827j:plain

 

引き取り手もなく墓地に埋葬することを許されなかった死刑囚の大半は、このメルボルン監獄の敷地内に今も埋められたまま。それゆえ、ネッド・ケリーたち死刑囚の幽霊が出るというまことしやかな噂があります。幽霊うんぬんの真偽はわかりませんが、フレデリック・ベイリーの独房で感じたうすら寒さはもしかして・・・。ちなみに月1回開催のナイトツアーは、超常現象専門家がガイドを務める心霊ツアーなんだそうです。

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旧監獄の観光の後は、Watch House Tourなるものに参加しました。

ツアーが催行されるのは、旧監獄の隣にある旧警察署の建物。時期や曜日によって催行頻度が変わるものの、わたしが訪れた日は1~1.5時間おきの開催でした。すでに数人の観光客が建物の前で待っていたのですぐにわかりました。f:id:greenbirdchuro:20190725223049j:plainf:id:greenbirdchuro:20190721175502j:plain

 

時間になると刑務官の制服を着たスタッフに案内されて建物の中に入ります。まず、男女に分かれて壁を背に整列させられ、犯罪者の名前・年齢・住所・罪状・捕まった場所・逮捕した警察官の名前といった情報が記載された囚人カードなるものを手渡されました。そして、さっきまで笑顔だった刑務官の表情が一変し、犯罪者を相手にするような厳しい口調に変わりました。単なる旧監獄観光ツアーだと思って参加していたわたしは、この時になって初めて体験型ツアーの意味に気が付くのですが、時すでに遅し。渡されたカードに記載されているのはこれからわたしがなりきらなくてはいけない犯罪者だったようです。どうやら、犯罪者になりきって、逮捕と独房監禁、刑務所生活を味わうという体験型ツアーだったというわけです。

 

その後、取調室のような部屋に通され、指名された数人が刑務官に名前や罪状についての質問を受けました。40歳は超えていそうな欧米人女性が、実年齢と犯罪者の年齢の両方のサバをよんで20歳と答えた時には刑務官も思わず吹き出していたし、ところどころに刑務官のツッコミやジョークが入るので笑いもあります。それほど怖い雰囲気ではないのですが、何しろ全ての会話がオーストラリア訛りの英語。聞き取りに苦労するわたしは、予習していない授業で当てられそうな時のような他の観光客とは別の意味の恐怖を味わうことになりました。

 

拘留場に続く廊下では、武器を所持していないかを確認するために壁を向いて手を挙げさせられ、足裏を見せたり、口の中を見られたりと海外ドラマで見るような身体検査が行われました。身体検査が済むと男女別に椅子とトイレだけとの狭い拘留場に入れられ外から鍵をかけられました。何が始まるかと思っていたら、電気を消されてそのまましばらく放置。狭い室内に閉じ込められての暗闇体験は監禁体験としてはなかなかリアルでした。一晩過ごしたという設定で、やって来た刑務官に部屋の外に出してもらえました。中庭のベンチで刑務官の話を聞いた後は自由に見学です。f:id:greenbirdchuro:20190721163410j:plain

 

出口のマグショットボードではなりきり記念写真を撮ることができました。ここまでのツアーの所要時間はだいたい30分といったところでした。f:id:greenbirdchuro:20190721180440j:plain

 

わたしなんか、最後の方はちょっと委縮してしまって、自分が本当に犯罪者になったような気分までしてきました。お芝居とは言え、刑務官役からの暴力的な表現もあるので、気が小さい方にはあまりお勧めできないかも。実際に12歳以下の子供の参加は勧められていませんでした(15歳未満は大人の同伴ありで参加可)。ツアーのメンバーに赤ちゃん連れのご夫婦がいて、その赤ちゃんの出す声で何度か救われましたが、赤ちゃんにとってこの体験がどうだったかは別の話です。きっと、刑務官役の人もやり辛かっただろうな・・・。

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