時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

イーストメルボルンとアーケード巡り

市街地の東側(イースメルボルンエリア)にやってきました。

パーラメント駅に降りると、スプリング通りに面してビクトリア州議事堂が建っています。原住民族アボリジニの聖なる集会所であったこの場所に、ビクトリア植民地の議事堂としてこの建物が建てられたのは、ゴールドラッシュ最盛期の1856年でした。メルボルンが臨時首都だった1901年から1927年までは、この場所でオーストラリア連邦議会が開かれていました。f:id:greenbirdchuro:20190719164722j:plain

 

ギリシャ神殿のようなコリント様式の柱廊とロンドンのリーズタウンホールをモデルにした立派なファサードの建物に鋳物製のランプが趣を添えています。大英帝国植民地の建築物としては最高傑作との評価を受けている堂々とした外観ですが、実は資金不足が理由で未完のままなんです。本当は、屋根にドームを建築する予定だったとか。ドーム建築が諦めきれないようで、議案が出されては資金面で否決というのが何度も続いているようです。この不況のご時世で「今さら、無理」としか思えません。議会閉会中は無料で館内が見学できますが、ツアーに入らないといけないみたいです。f:id:greenbirdchuro:20190719164841j:plain

 

議事堂の南側には財務省ビルがありました。建築家が19歳のJ.J.クラークであったことや流行のルネッサンスリバイバル様式の建物からも完成当時(1862年)のメルボルンの勢いがしのばれます。セントパトリック教会と同じブルーストーンを建材としていますが、様式が違うせいかだいぶ明るく見えました。f:id:greenbirdchuro:20190719191626j:plain

 

当時のこの建物に中には、財務省以外にも裁判所や州総督・長官の部屋が入っていたそうですが、現在は地下と1階がメルボルン歴史博物館として公開されていました。ゴールドラッシュに沸いた19世紀から財務省として使用された20世紀前半までの歴史が資料や映像とパネルで展示されています。日本語パンフレットはとても簡素ですが、この博物館が素晴らしいのは、物価高のオーストラリアにあって「無料」だということ。f:id:greenbirdchuro:20190719174851j:plain

 

これは、2000人の鉱夫がチャールズ総督に宛てた嘆願書です。解説文によると、「インフラが整備されてないのに毎週5000人の採掘者が新たに採掘拠点のベンディゴの街にやってくる。メルボルンからベンディゴまでの悪路と高い食料費ついてどうにかしてくれ」ってことのようです。いやいや、現代だってそんな異常事態にはなかなか対応できないと思いますけど。f:id:greenbirdchuro:20190719174541j:plain

 

総督の部屋は落ち着いた内装で、椅子の座り心地もなかなかでした。総督はふんぞり返っていれば良いと思っていましたが、当時のメルボルンはまさに激動だったし、あんな嘆願書にも対応しなきゃいけなかったなんて意外に大変な仕事だったんですね。f:id:greenbirdchuro:20190719182400j:plain

 

本物かどうかわかりませんが、金の延べ棒f:id:greenbirdchuro:20190719174857j:plain

 

スタンフォードの泉は、州議事堂と旧財務省ビルの間のゴードン・リザーブ公園の中にありました。驚くことに、ビクトリア州にある泉の中でも最高傑作と言われるこの作品を制作したウィリアム・スタンフォードは、ペントリッジ刑務所の服役囚でした。ロンドン出身のスタンフォードはゴールドラッシュの夢破れて犯罪に手を染めた頑固で扱いづらい服役囚でしたが、ふとしたことでその芸術的才能を見出され、チャールズ・サマーズを師に彫刻を学び始めます。4年の歳月をかけ、役務で採掘されるブルーストーンだけを使って完成させたのがこの美しく繊細な泉です。サマーズの尽力で自由の身となった彼はその後も彫刻家の道を歩んだそうです。なんか、人生捨てたもんじゃないなって思えるイイ話です。f:id:greenbirdchuro:20190719184810j:plain


ビクトリア州のローマカトリック総本山セント・パトリック大聖堂は市街地の外れにありました。この地域で採れたブルーストーンを使った外壁の青みを帯びた暗い色合いが、ゴシック・リヴァイバル様式の大聖堂にさらなる重厚感を与えています。国内最大のゴシック建築だけあってかなりの大きさです。正面像をフレームに収めるために地面に這うように撮影しなければなりません。写真のマジックで目の錯覚を起こしてしまいますが、正面の 2 本の尖塔が各々61m、低く見える中央の尖塔が103mあります。ちょうどウェディングフォトの撮影中でした。f:id:greenbirdchuro:20190719144237j:image

 

ゴールドラッシュによる人口増加に対応するために建築が始まりましたが、金塊探しで労働者が不足したり、不況で滞ったりしたために1939年の完成まで80年以上がかかっています。セント・パトリックはアイルランド守護聖人ですが、これは当時のメルボルンカトリック信者のほとんどがアイルランド移民であったためです。ちなみに市民によってつけられた愛称は「セントパッツ」。その荘厳な雰囲気と愛称の砕け具合がいまいち日本人には理解しにくい感覚です。f:id:greenbirdchuro:20190719145348j:plain

 

聖堂内部に足を踏み入れると、並んだ柱列が92mの身廊の奥行を強調した荘厳な空間が広がっていました。両側のステンドグラスから差し込む光が外観とは違った淡い色合いの内装をオレンジ色に照らしています。床のモザイク模様がなんだかポップです。f:id:greenbirdchuro:20190719140121j:plain

 

立派な梁に支えられた高い天井はセント・ポール大聖堂と同じく木製で、まるで船底のようです。入口の上部にはとても大きなステンドグラスがありました。f:id:greenbirdchuro:20190719140125j:plain

 

数えきれないくらいの色を使ってモザイク模様と人物画が繊細に描かれています。ステンドグラスの大半は、イギリスの国会議事堂やウエストミンスター大聖堂のステンドグラスを手掛けたことでも知られるバーミンガムジョン・ハードマンの作品だそうです。と言っても、誰の作品か判別して鑑賞する能力などわたしにはありませんから、いつも通りキレイとか好きとか直感的に拝見させて頂きました。f:id:greenbirdchuro:20190719140130j:plainf:id:greenbirdchuro:20190719140134j:plain

 

片側の翼廊には、この大聖堂の荘厳さにぴったりな大きなパイプオルガンがありました。現在のものは1960年代前半に作られたものですが、オリジナルは1870年代後半のものだったそうです。残念ながら音色を聞くことはできませんでした。
f:id:greenbirdchuro:20190719154641j:plain

 

再び市街地に戻ってきました。

メルボルン中心部(CBD)はコンパクトで 東西3km、南北1kmほどの基盤状に整備されたエリアに都市機能や観光スポットのほとんどが集約されています。通りにはそれぞれ個性があり、歩くだけでも楽しめるアーケード街がいくつもありました。f:id:greenbirdchuro:20190719103104j:plain


1870年の開業のメルボルン最古のアーケードロイヤル・アーケードは、バーク通りとリトル・コリンズ・通りを結ぶ場所にありました。ビクトリア様式のドーム型のアーケードには歴史を感じさせる重厚感があります。天井のガラスから差し込む自然光がアーケード内を明るく照らしていますが、これは建築当時に電気が普及していなかったゆえの構造だそうです。アンティークや輸入雑貨、ジュエリー店と言った古くからのお店とたくさんのスイーツ専門店が並んでいて歩くだけでウキウキします。f:id:greenbirdchuro:20190718230125j:image

 

ロイヤルアーケードのシンボルは、伝統的英雄ゴッグとマゴッグの大時計(Gaunt's Clock)です。ゴッグとマゴッグは、ローマ皇帝の娘が悪魔の妻となって生んだとされる巨人の悪魔の兄弟。伝統的英雄とはほど遠そうですが、捕虜となった彼らはロンドンの城の門番を務めたことから後にロンドン市の守護者となったいうイギリスの伝承です。他にも様々な伝承があるようですが、時計を守るように両側に立つ姿は門番そのものですし、なんと言ってもオースラリアは女王陛下の国ですから、これが正解に近い気がします。アーケードオープン当初からこの場所で時を告げてくれています。f:id:greenbirdchuro:20190719110246j:plain

 

コリンズ通りとリトル・コリンズ・通りを結ぶのはブロックアーケードです。ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアをモデルにしたという洗練された空間で、アールヌーボー調の装飾や彫刻が施された天井やモザイク柄がエレガントな大理石の床を見ていると、まるでヨーロッパにいるような錯覚を覚えます。ここで買い物することがステータスであったという1893年の開業当時に、上流階級で「ブロックする」という言葉が流ったのもわかる気がします。f:id:greenbirdchuro:20190719113503j:plainf:id:greenbirdchuro:20190719115744j:plain

 

コリンズ通り側エントランスを入ってすぐ右手にあるHopetoun Tearoomsは、いつ通っても、東京に住んでいて行列に慣れているわたしが怯むほどの大行列でした。でも、ショーケースに並ぶ色とりどりのスイーツを見てしまうと思わず足が止まってしまうのも納得です。しかも、行く度にケーキの種類が違うではありませんか!そんなわけで、怯むなんて言いながも、メルボルンで最も歴史あるサロンなんだから行っとかなくちゃと自分に言い聞かせながら行って参りましたとも。f:id:greenbirdchuro:20190719115846j:plainf:id:greenbirdchuro:20190719115850j:plain

 

あまりに種類が多すぎて、悩みに悩んだ末、禁断のダブルケーキ・・・。色鮮やかなクランベリーのスイスロールレモンパイ。見た目はどっちもすごくキレイだけど、(そうは言っても、オーストラリアだから)激甘で大味なんだろうな・・・というわたしの予想を見事に裏切ってくれました。素材のフルーツの酸味を生かした上品な甘さに、通りかかったウエイトレスさんに「美味しい!」と日本語で言ってしまうくらい。f:id:greenbirdchuro:20190719121738j:image
f:id:greenbirdchuro:20190719121735j:image

2つもケーキ食べちゃって、わたし大丈夫かな・・・。

 

メルボルン案内-たとえば、こんな歩きかた-

メルボルン案内-たとえば、こんな歩きかた-

 
C13 地球の歩き方 シドニー&メルボルン 2019~2020

C13 地球の歩き方 シドニー&メルボルン 2019~2020

 

 

<