ミッフィーの故郷ユトレヒト
アムステルダムから列車で南に30分、やってきたのはミッフィーの生まれ故郷としても知られるオランダ第4の都市ユトレヒトです。
中世の街「ユトレヒト」で、お出迎えしてくれたユトレヒト中央駅のあまりの近代的な様子にびっくりです。ユトレヒト中央駅は1973年に開業した駅舎を基に再構築されたオランダ最大の駅です。人口30万に満たないユトレヒトにあって、この駅の利用者は1日17万人以上と国内最多。オランダのほぼ中央に位置しているので接続列車の数も多く、1日あたり最大900本以上の列車が発着します。つまり、この駅でトラブルや事故が起こるとたちまち国中の鉄道網が乱れるということです。ところで、わたしには駅舎がミッフィーに見えて仕方ありませんけど、気のせい?
構内の造りも機能的でした。ちなみに駅ビルにはわたしの大好きなアルベルトハイン(Albert Heijn)が入っていました。オランダの大手スーパーだけど、コンビニも展開していて・・・イオンとまいばすけっとみたいな感じですね。
誰もが目にしたことのあるウサギの女の子のキャラクター「ミッフィー」はユトレヒト生まれ。ミッフィーのオランダ名はナインチェ・プラウスです。生みの親ディック・ブルーナはユトレヒトで生まれ、ユトレヒトで亡くなりました。ナインチェ・ミュージアムには彼の作品が常設展示されています。
駅構内で見かけたミッフィーにがぜんテンション上がります。恥を忍んで道行く人に何度も写真を撮ってもらいました。わたしが物心ついた時には既に存在していたミッフィーの誕生日はオランダで最初の絵本が出版された1955年6月21日とされています。わたしよりもずっと年上だし、とっくに還暦を過ぎてたようですね・・・。
地元でも人気の焼き菓子屋テオ・ブロムは1888年創業の老舗。世界でもここでしか購入出来ないミッフィーのクッキーは常連だったブルーナの好物でした。
で、購入しました。一枚一枚に違った表情のミッフィーが描かれています。食べてしまうのが可哀想で勿体なくて・・・決心がつかず、結局は人にあげてしまいましたが、その後も食べたかどうか聞けていません。
バイエンコルフ百貨店前の信号機にもこのシルエット!世界でも、ユトレヒトでも、この一箇所だけでしか見られないミッフィー信号機です。オランダの青信号はかなり短めなので、写真を撮るのが一苦労でした。この横断歩道を何往復したことか・・・。
市内の広場にもあるとてもシンプルなミッフィー像は、ブルーナの次男でアーティストのマルクが制作したものです。汚れちゃって可哀そう・・・。
ミッフィー巡りはほどほどにして旧市街に足を踏み入れました。
旧市街エリアはとてもコンパクトにまとまっていて、元はライン川の支流であったアウデ運河(旧運河)が曲がりくねって流れています。19世紀まで旧市街を取り囲んでいた城壁が取り除かれ、城壁の周りの運河だけが残っているようです。
運河沿いに並ぶレストランやカフェの一部は水上交通で栄えた時代に使用された倉庫を使用したものです。水辺に設けられたテラス席で街の美しい景色を楽しみながら食事をしている人々の姿を見かけました。
賑やかで明るい雰囲気のアムステルダムと違って、ユトレヒトの運河が持つ中世の街らしい静けさと程よい寂れ感には風情を感じます。運河沿いの歴史を感じる建物もステキだし、どこを切り取っても絵になります。
他の建物より頭一つも二つも高いドム教会の塔(ドム塔)が見えてきました。112.5mという高さは教会の塔としてはオランダで最高だそうです。ユトレヒト市内にはドム塔より高い建物はありません。法律や条例で取り決められているわけではなく、1382年の完成以降、塔を越える高さの建物を建ててはいけないという暗黙の了解が守られてきたからです。街の人々のドム塔(教会)を崇める気持ちと景観を守りたい気持ちの強さの表れですね。
ドム塔の下のアーチの向こう教会が見えてきます。ん?塔と教会はなんで繋がっていないんですかね。
実は、かつては一続きだった塔と教会。1674年に発生した大竜巻による暴風雨で教会の中央部分がドム塔を繋ぐ身廊とともに倒壊してしまい、それ以後再建されずに現在に至っています。だから、教会の東側にドム広場を挟むような感じで離れて塔が建っています。今さら再建する気はないでしょうけど。
アーチをくぐるとかつて教会の身廊があった部分がドム広場になっていて、他の建物に邪魔されることなく、塔の全景を見ることができました。465段の階段を登った先にある展望台からはアムステルダムまで見渡せる日もあるそうです。ただし、中に入るためにはツアー参加が必須。タイミングが合わず今回は断念。行き当たりばったり旅行の悪いところですね。
ドム教会の正式名称は聖マルティン大聖堂。歴史は古く、最初の建造は630年頃のことです。木造教会からスタートし、お決まりの倒壊と再建を繰り返してオランダで最初のゴシック様式の教会となる現在の石造りの教会が完成したのは1517年でした。資金難での中断もありながら建設に300年近くかかったことになります。
初めにドム教会を訪れた時は入り口の扉が閉まっていて中に入ることができませんでした。そのおかげで扉を鑑賞することができました。刻まれた文字や絵にどんな意味があるのか全くもってわかりませんが、とにかく重厚感のある扉です。
教会の裏側に回ってみました。後ろ姿の方が正面より断然迫力あります。
内部へに足を踏み入れると壁にある複数の窓から差し込む光が教会の中を明るく照らし、とても神秘的です。わたしのような不信心者でも厳かな気持ちになります。奥に横たわる石像は英蘭戦争で活躍したオランダ海兵隊の指揮官ウィレム・ヨゼフ・ファン・ゲントです。奥まで続くツートンの柱は16世紀にヨーロッパ全土で起きた宗教改革の名残です。当時、ドム教会もカトリックからプロテスタントへの改宗を余儀なくされました。カトリックでは教会の装飾に多くのあざやな色を使っていましたが、華美なものや偶像に否定的な考えのプロテスタントによって白く塗りつぶされてしまったのです。赤黒く見える部分は上塗りされた白ペンキが風化で落ちてきて、下地の色が浮き上がってきたものです。祭壇があるという点もこの教会がかつてはカトリック教会だったことを示唆しています。
入口付近には聖人が描かれた大きなステンドグラスがありました。この壮麗なステンドグラスが作られたはほんの100年ほど前。意外と新しいことにびっくりします。
この白いパイプオルガンは1830年頃にパッツ社で製造されたものです。天井の高さが30mなのでパイプオルガン自体の大きさも伺い知れます。毎週のように専属オルガン奏者による無料のコンサートが開かれるそうです。
パティオに続くエントランスのドアのファサードには馬に乗ったユトレヒトの守護聖人シント・マールテン(日本語で言うと聖マルティヌス)が自分のマントを裂いて、その半分を半裸の物乞いに与えているシーンが刻まれています。実はこの物乞いの正体はイエス・キリストなんです。物乞いに扮するなんてお人が悪い・・・。
ドム広場には教会に接してユトレヒト大学が建っています。ヨーロッパでも歴史のあるこの大学に在籍する学生はオランダ最多の2万6000人超。大学の街というイメージが強いユトレヒトですが、人口の6分の1がここの学生だとすれば納得ですね。この大学は12人のノーベル賞受賞者を輩出している正真正銘の名門大学です。特筆すべきは、ここはオランダが1つの国家として宗主国スペインからの独立を誓い合った「ユトレヒト同盟」の結ばれた場所でもあるということです。
当初、オランダ第4の都市にはドム塔とドム教会の存在は過分に感じました。今となっては不勉強だったせいだとわかりますが・・・。オランダという国家ができるよりもずっと前のローマ帝国時代から存在していたユトレヒトが17世紀の黄金時代にアムステルダムにとって代わられるまではオランダの中心都市だったという歴史を知ると、あるべくしてここにあるんだなと理解できました。
そろそろオランダとはお別れです。
- 作者: ディック・ブルーナ,Dick Bruna,まつおかきょうこ
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