世界最大のゴシック建築 ケルン大聖堂
帰国日前日、ユトレヒトから列車で2時間。空港のあるデュッセルドルフを通り過ぎてケルンに向かいました。ケルンの街の中心部に入るずっと手前から壮大なゴシック建築が見えていて、ケルン中央駅が近いことにはすぐに気が付きました。いやはや遠くから見ても大迫力。
ケルン中央駅すぐの広場から見たケルン大聖堂(ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂)の正面像です。広場の端っこまで下がってみましたが、カメラではその全景を収めることが出来ません。世界最大のゴシック建築の圧倒的迫力を表す言葉はそう簡単には見つかりませんよ。天を衝くようにそびえる2本の尖塔のドイツらしい荒々しさと塔やファサードに施された装飾の繊細さが見事に共存しています。
東側が聖堂の背面になりますが、これが正面だと言われたら疑いの余地ありません。それくらい立派なんです。ちなみに現在の大聖堂は3代目。世界最古の聖堂だった初代が建てられたのは4世紀でした。3代目の着工はケルンの発展に貢献した2代目が火災で焼失した直後の1248年でしたが、この大聖堂も例外なく宗教改革の波に飲み込まれ、長い中断期間を経て、現在の完成形になったのは着工から600年以上が経過した1880年のことでした。着工当初はゴシックの走りだったのに完成時には時代はゴシック・リバイバル! 高さ157mは当時の建築物では世界最高だったので、時間をかけた甲斐があったね!と言いたいところですが、たった4年でアメリカのワシントン記念塔(高さ169m)に世界一の座を奪われてしまいました。
北側側面に回ると修復中のため一部がパネルになっていました。この規模なので年中どこかしら修復してるでしょうから、これくらいは想定内です。実際に部分的修復作業が行われているのが常態のようです。この大聖堂は第二次世界大戦時に空爆を受けた後も大規模な復旧工事を経験しています。ただし、戦後の瓦礫も材料として使われた突貫工事だったので、その粗悪建材を取り除く作業も併せて継続中なんだとか。戦争は過去のものではない事を改めて思い知らされます。
尖塔の間にある入り口から入ると、祭壇まで続く全長144mの身廊と幅86mの翼廊が外観のイメージを裏切らない広大な空間を作っていました。同時に「天」を思わせるような高い天井に圧倒されます。重厚な石柱の垂直ラインが43mの天井をさらに高く見せていて、神のいる天上界への憧れから教会は天井高くあるべしというゴシック様式のお手本を見るようです。
高い柱には壮麗な装飾が施され、フランスのアミアン大聖堂を見本にしただけあって、外見の豪胆な印象とは打って変わって上品で優雅な空気を醸し出しています。
高い位置にある窓から降り注ぐという表現がぴったりな明るい光が差し込み、石柱の連なるリブ・ボールトの円天井を明るく照らしていました。
中央祭壇の奥にある豪華な黄金の聖柩には、東方三博士の頭蓋骨が収められているそうです。もちろん、聖柩自体は後々に作られたものですが、12世紀にこの遺物が安置されたことで巡礼地の一つとしてケルンが栄えるキッカケになりました。それにしても、こちらの方々はご遺体の一部だけを保存するのがお好きなことで・・・成仏出来なさそうと思っちゃいますが、まずキリスト教に成仏なんて概念はないですもんね。ところで、東方三博士は実在するってことで良かったんですかね・・・知らなかった。
祭壇の右側にある「聖母子と東方三博士の礼拝」はケルンの画家シュテファン・ロホナーが1440年頃に描いた傑作です。正面に幼いイエスを抱いたマリアが座わる構図はこのテーマでは珍しいものだそうです。三博士が長い旅の末でたどり着いたことを示唆するように画面の片方に三博士、反対側に聖母子が描かれるのが一般的だとか。ちなみに左右に描かれているのはケルンの守護聖人である聖ウルズラと聖ゲレオンです。わたしはお二方とも初お目見えですね。
十字架から降ろされたイエス・キリストの亡骸を抱いて悲しむ聖母マリアのピエタにはたくさんの蝋燭が灯されていました。
世界最大のゴシック建築に相応しく、聖堂内の窓を埋め尽くすステンドグラスの美しさにも溜息が出ます。なんと43か所4100枚のステンドグラス!そして、何より圧巻なのはカメラに収めるのが難しいそのスケールの大きさでしょう。
数多くの作品の中でも特筆すべきは身廊右側にある「バイエルンの窓」と呼ばれる5枚のステンドグラスです。1842年にルートヴィヒ1世が奉納したもので、よく見るとバイエルンの紋章が入っています。これは真ん中にあるピエタですが、ほとんど絵画と言えるような繊細なタッチです。
南側には、これまであまり見たことのない格子柄のステンドグラスがありました。斬新さに違和感すら感じますが、現代ドイツ美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターの作品だそうです。わたしのように違和感を感じる人は多いようでかなり賛否両論があったみたいですが、今や大聖堂の必見ポイントになっています。
さて、157mの南塔に登ってみることにします。塔への登り口があるのは、正面入り口の右手にある地下です。
チケット売り場に書かれている情報を見ると展望台があるのは地上100mで所要時間は30分で533段!?まさかのエレベーターなし!
登り始めてすぐに階段が螺旋状に変わりました。果てしなく続く狭い螺旋階段をゲージの中で走るハムスターのようにただひたすらに登っていきます。目が回るし、息は切れるし、本当にしんどい533段でした。でも、立ち止まったら気持ちが切れてしまいそうだったので、一度たりとも立ち止まる事なく一気に登り切りきりました。
展望台に辿り着いた時にはこの旅一番の達成感を感じました。もちろん、地上100mの展望台から見えたのは想像通りの絶景。ケルンの街並みや雄大なライン川をはるか遠くまで望むことが出来ました。周囲に高い建物がなく、大聖堂自身の塔や装飾以外に視界を遮るものがありません。実はこの大聖堂、世界遺産になってほどなくして危機遺産リストに名前が上がるほどのピンチに陥ったことがありました。約1km離れた地区に高層ビル群の建設計画が発表されたからです。ビル建設に高さ制限を設けるなどのケルン市の奮闘・努力で危機を逃れたそうですが、何世紀も守られてきたユトレヒトのドム塔とは大違いで、ドイツ人には暗黙の了解なんて曖昧なものは通用しなかったみたいですね。
登りで疲れ切った後の下り階段の膝ガクガクは半端ありませんでした。中ほどまで降りると「大きなピーター」と呼ばれる巨大な鐘が見れます。第一次世界大戦中に溶かされて武器に鋳直されてしまった皇帝の鐘の後に取り付けられたこの鐘の重量は奈良の大仏と同じくらい!世界で最も大きな鳴らせる鐘なんだそうです。動けるデブみたいなことですかね。
ライン川に架けられたホーエンツォレルン橋を渡ってみました。欄干の錠前の数も圧倒的です。世界中のあちこちで見る光景ですが、錠前の重さで鉄柵がいつか倒れてしまうんじゃないかと冷や冷やします。
橋を渡って振り返ると、ライン川にかかる鉄橋がまるで大聖堂につながっているように一体化して見えます。鉄橋だってかなり大きいはずなのに、世界最大のゴシック建築の存在感の前では全く違和感ありません。天に届かんばかりにそびえる二本の尖塔を見ると自分がついさっきまで天上に近い場所にいたという実感がわきます。
もちろん夜も来ちゃいましたよ。幻想的な景色になんか泣けてきちゃいました。ケルン大聖堂とライン川の移りゆく景色はいつまで見ていても飽きないものでした。
さて、滞在時間も残り少なくなってきました。