時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

ゲッレールトの丘の悲劇

 

 

ブダ地区には王宮の丘を含めた3つの丘が連なっています。北から高級住宅地のあるバラの丘、観光名所の集まった王宮の丘、そして一番南にあるのがゲッレールトの丘。このゲッレールトの丘から見える景色がブダペストで最も素晴らしい!!らしい。それに、わたしには遠くから見えるこの丘にずっと気になっていたものがありました。。

 

リバティ橋をペスト側から渡って来ると川岸に面したゲッレールトの丘の麓の大きな岩の上に十字架が立っているのが見えます。わたしが気になっていたものの1つ目はこれなんです。f:id:greenbirdchuro:20190522194724j:plain

 

もう少し近づいてみると・・・岩をくり抜いたような白みがかった建物が見えてきました。この岩の中に洞窟教会があるんです。f:id:greenbirdchuro:20190522194731j:plain岩から飛び出してきたようにもくり抜いたようにも見える建物が教会の一部なのか全く関係ないものなのかは不明ですが、いずれにしても道路側からは洞窟教会にアクセスすることはできません。ここから丘を登っていくことになります。

 

傾斜のきつい坂道を中腹まで歩いて行くと・・・ドナウ川を背にして馬を伴った白い彫像が出現しました。数多の英雄の中でこんなに堂々とソロ活動ができるのはあの方に違いありません。そう、これまで見たものとは作風が違うのでわかりにくいですが、ハンガリー初代国王イシュトヴァーン1世です。f:id:greenbirdchuro:20190522194818j:plainこの丘の名前は、もともとイシュトバーン1世によって招かれたイタリア人伝道師ゲッレールトから来ています。彼は異教徒の反乱にあい、樽詰めの状態でこの丘からドナウ川に投げ落とされたんだそうです。ここは悲惨な目にあった張本人ゲッレールトの像があるべき場所では?とも思わないでもないですが、ハンガリーではちょっとでもイシュトヴァーンが絡むと全てが彼の逸話やゆかりになるみたいですね。

 

彫像の後ろにはゲッレールト広場とペスト側のフェーヴァーム広場とを結ぶ長さ333.6mのリバティ橋が見えます。1896年にくさり橋を模して造られ、竣工式で橋台にリベットを打ちこんだハンガリー国王の名前を取ってフェレンツ・ヨージェフ橋と呼ばれました。1945年にドイツ軍によって爆破され、掛け替え工事がされたそうです。ラッシュ時を狙った無警告の爆破だったそうなので、甚大な被害だったことでしょう・・・。f:id:greenbirdchuro:20190522194902j:plain

 

イシュトヴァーン像の向かいに洞窟教会の入り口がありました。岩の上の十字架がないとこんなところに教会があるとは気がつかないです。f:id:greenbirdchuro:20190523223416j:image中世以降の記録では、この洞窟はゴミにまみれた貧しい人々の溜まり場で市民から敬遠される場所でした。(いわゆるホームレスのホームってことだと思います。)フランスのルルド郊外にも聖母マリアが現れたという伝説がもとで建てられた洞窟教会がありますが、それを知ったパウロ会の修道士が閃いちゃった結果、別にマリア様が現れたわけでもないのに1926年の洞窟教会建設になったわけです。第二次世界大戦後にはソ連軍が教会の入り口をコンクリートで塞いでしまい、再び入り口が開かれたのはベルリンの壁崩壊後の1990年でした。内部が修復されたのはほんの10年ほど前だそうで、ブダペストの新名所になりそうな感じがプンプンしますね。

 

内部は奥に広がりがあって意外と広そうですが、またしても開館時間と合わず、入り口から見えたのは洞窟の天井だけでした。f:id:greenbirdchuro:20190524134300j:plain

坂道をもう少し登ると教会の屋根にあたる部分に立つ十字架がありました。教会の存在を知らなければ、なんでこんなところにと思われそうです。f:id:greenbirdchuro:20190524134454j:plain

 

もう1つ気になるものがあるし、せっかくここまで来たので絶景に出会うべく丘を登り続けます。

麓から20〜30分歩いた頃、一気に景色が開けてきて標高235mの頂上に到着!いくつものベンチが備え付けられ、多くの観光客が思い思いの時間を過ごしていました。

 

その山頂にはヤシの葉を両手に掲げた女性像がたっていました。ナチス軍からハンガリーを解放したソ連軍兵士の慰霊碑として第二次世界大戦後に建てられた自由の像です。ずっと遠くの市街地から見えていてわたしがずっと気になっていたのはこの像だったんですね。その傍ら左には、前進を表現した像もあります。f:id:greenbirdchuro:20190522194828j:plain

そして、右側には悪との戦いを表現した像。f:id:greenbirdchuro:20190522194832j:plain

体制が変わった時、ソ連軍がらみの自由の像は撤去すべきとの意見が出ましたが、とっくにブダペストのシンボルとなってしまっていた上に、コンセプトが「自由」だったことから撤去せずに保存することになったそうです。

 

自由の像の背後にはツィタデラと呼ばれる要塞跡がありました。もともとはローマ帝国時代に建てられた小さな砦跡にオーストリアが要塞を作ったものです。目的は市民を威圧するため、しかもハンガリーの人々に強制労働を強いての建設ですから、ほんとオーストリアが嫌いになりそうです。

 

山頂はドナウ川の上流と下流、それにペスト側とブダ側の両方の市街地が見渡せる絶景スポットでもあります。王宮の丘よりさらに一段高い場所から街全体を俯瞰できます。f:id:greenbirdchuro:20190522194842j:plainリバティ橋もこんな上から見れます。f:id:greenbirdchuro:20190522194859j:plainリバティ橋より1本上流に見えるエリザベートハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のお妃の名前が由来です。エリザベートはウィーンの生活になじめず、好んでハンガリーに長期滞在したそうです。f:id:greenbirdchuro:20190522194845j:plain


ゲッレールトの丘から降りて、ペスト側に渡りブダペスト中央市にやってきました。カラフルな屋根がかわいらしい立派な構えの建物はまるで駅舎のようにも見えますが、れっきとしたブダペスト市民の台所です。f:id:greenbirdchuro:20190522195530j:plain

市場の中は見た目通り広くて、奥行きのある建屋の中にはたくさんの店が所狭しと軒を並べていました。人でごった返していたので、全体を見渡す為にまず2階に上がってみました。f:id:greenbirdchuro:20190522195535j:plain2階には主に刺繍や陶器等のハンガリー民芸品のお店やフードコートが並んでいました。食事の時間帯でもないのにフードコートは有り得ないくらい混雑していて、通路は立ったまま食事をする人で溢れていました。

 

1階に降りると生鮮食品やお酒等の食料品が売られていて、買い物をする地元の人々も多いようでした。ハンガリー名産のフォアグラが安くで売られている店もあり、お土産にフォアグラの缶詰を買おうとする観光客でどの店も混雑してしていました。f:id:greenbirdchuro:20190524135142j:plain
当然ながら缶詰よりも生のフォアグラが安いので、料理に覚えのあるアパートメント滞在者なら自分で料理すれば、一生分の量の上質なフォアグラを安くで食べれますよ。

 

わたしもフォアグラは大好き!! 早速、レストランで楽しむことにします。

 

 

ブダペシュトを引き剥がす: 深層のハンガリー史へ

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図説 ブダペスト都市物語 (ふくろうの本)

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