時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

世界一美しい国会議事堂

 

観光客でごった返すフニクラ頂上駅を後にし、大統領公邸を右手にみながらドナウ川に沿うように北上して行きます。ブダの街を眺めながら歩いて、たどり着いたのは三位一体広場f:id:greenbirdchuro:20190521220428j:plain

 

そこで、目に飛び込んできたのはゴシック様式の尖塔が特徴的なマーチャーシュ教会でした。約80mのマーチャーシュの塔が、天を突き刺すようにそびえ立っています。f:id:greenbirdchuro:20190521220445j:plainこの教会の起源は1015年に遡りますが、ここで登場するのが予想通りの初代国王イシュトヴァーン1世。建国の父は戴冠式だけでなく二度の結婚式をここであげています。それ以降、歴代国王の戴冠式はほぼここで行なわれてきました。ザ・聖地ですね。

 

正式名称が聖母マリア聖堂なのにマーチャーシュ教会と呼ばれるようになったのは、15世紀に大規模な増改築を行った王の名に由来しています。ハンガリーの1000フォリント紙幣にもなっているマーチャーシュ王はこの方です↓↓↓f:id:greenbirdchuro:20190522094827j:image

 

南側から撮影すると上部分が見切れてしまうくらい高いマーチャーシュの塔。その陰に霞んでしまいそうな左側のベーラの塔は約36mの高さです。f:id:greenbirdchuro:20190521220542j:plain

 

女子の心をときめかせるのは、尖塔よりもカラフルな屋根。ダイヤモンド模様の瓦屋根はヘレンドと人気を二分するハンガリーの代表的な陶磁器ブランド「ジョルナイ」製。f:id:greenbirdchuro:20190521220719j:plain

 

700年の歴史の中には、ハンガリーオスマン帝国支配下にあった時代もありました。聖堂の備品は略奪され、フレスコ画は塗りつぶされて、占拠された聖堂がモスクにされ・・・、無宗教に近いわたしでもその残酷さや切なさは理解できる気がします。しかも、オスマン帝国に対抗した大トルコ戦争では同盟側の大砲で聖堂の壁が壊滅的状況に・・・まさに、泣きっ面に蜂

でもその時に奇跡が起きたのです!!実況風に説明すると・・・

聖堂の壁が(自軍によって)破壊→壁の奥に隠されていたマリア像登場→それを見たオスマン帝国軍の士気はだだ崩れ→一気に攻め込みブダ陥落→オスマン帝国の支配終了!

もちろん見てたわけじゃないし、多少の脚色はあるかもしれないけど、信じたい話ですね。

モスク化した聖堂の復旧には難渋したようで、本格的に復旧されたのは19世紀末でした。白羽の矢が当たった建築家のシュレク・フリジェシュは、聖堂を13世紀の設計図通りに修復してみせます。ところが、前述のジョルナイ製の瓦屋根やガーゴイルの樋嘴を乗せた尖塔などオリジナリティを出してしまったので大論争になりました。

自分の痕跡を残したくなる気持ち、わからないでもないですが・・・。

でも、今やブダペストの目玉となる個性的な観光名所ですからね、当時の人も結果オーライ!と思ってくれてるかもしれません。

 

マーチャーシュ教会のすぐ東側には真ん中に聖イシュトヴァーンの騎馬像を据えた広場がありました。騎馬像の後ろに見えるカタツムリのような回廊ととんがり帽子風の尖塔が漁夫の砦です。f:id:greenbirdchuro:20190521220729j:plain建国1000年記念に建てられたこの砦を守っていたのはドナウの漁師組合でした。それでもっての漁夫の砦なんですけど、緊急時には漁師達もブダ城を守っていたんですね。ちなみにこれもシュレクの作品です。

 

夕焼け時が近づき、西日に照らされた砦が良い雰囲気になってきました。漁夫の砦を構成する7つの尖塔は、ハンガリー人の先祖マジャール人の7部族を意味しています。そう言えば、英雄広場でガブリエルの塔を取り囲んでいた部族長も7人でした。f:id:greenbirdchuro:20190521220906j:plainそれにしてもマーチャーシュ教会といい、漁夫の砦といい、まるでおとぎ話の世界から飛び出してきたみたいです。

 

砦の上から南側を見ると、はるかに続くドナウ川とそこに架かるくさり橋が見えます。f:id:greenbirdchuro:20190521221013j:plain

対岸に見える立派な建物はハンガリー国会議事堂f:id:greenbirdchuro:20190521220919j:plain

世界一美しいと言われ・・・、現代風に言うと美しすぎる国会議事堂ってとこですね。聖イシュトバーン大聖堂と同じ96mという高さは、見たまんまながらブダペストで最高で、ファサードに至ってはくさり橋のたもとからマルギット橋まで伸びています。f:id:greenbirdchuro:20190521220923j:plain80歳を超える師匠が半世紀以上前にブダペストを訪れた時は、この国会議事堂の前の船着場に入国管理所があったそうです。

 

王宮の丘を降り、トラムに乗ってコシュート・ラヨシュ広場にある国会議事堂に向かいます。f:id:greenbirdchuro:20190521221548j:plain

1867年にオーストリアから自治を獲得したハンガリーは、1873年ブダとオーブダとペシュトの3つの街をまとめて首都ブダペストと定めました。独立の象徴となる立派な国会議事堂を!とコンペが開かれた結果、建築家のシュタインドル・イムレが選出。ウェストミンスター宮殿をモデルにしたリヴァイバル・ゴシック様式の議事堂が完成したのは着工から17年を経た1904年でした。建設に従事した人は約1000人と言われていますが、規模を考えるとそんなに多くない気がします。 

 

議事堂正面のにある広場は開放感があり、良く手入れされた芝生が青々としていました。たくさんある造り付けのベンチでくつろぎながら議事堂を眺める人、本を読む人、まどろむ人・・・。f:id:greenbirdchuro:20190521221848j:plain


それに加え、政治的訴えのために議事堂の真ん前でテントを張って寝泊りする人・・・日本ではありえない風景ですね。f:id:greenbirdchuro:20190521221558j:plain

 

 南側(くさり橋側)の側面です。ちなみに北側の側面も全く同じ外観です。中央のドームを挟んだファサードは完全に左右対称に作られています。f:id:greenbirdchuro:20190521221628j:plain

とにかく大きく!そして美しい!国会議事堂ですが、実際の全長は268m、幅118m、総面積約1万8000㎡と本当に本当に広大です。あまりにも広大な上に繊細で複雑な装飾を伴った造りなので、年がら年中どこかで補修工事がされているそうです。議事堂に威厳を持たせるために50万の宝石と40kgの金が使われていると言いますから、豪華なのも当たり前ですよね。

 

議会が開かれていない日には見学ツアーで議事堂内に入ることができ、議場だけではなくて、保管展示されている聖イシュトヴァーンの王冠や宝剣、戴冠式用の品も見られます。ただし、いつも混雑しているのでネット予約の上、朝一で入るのが良いようです。

 

広場を挟んだ議事堂の向かいに建つ民族博物館。これが議事堂でも全く違和感のない立派な建物だと思っていたら、議事堂コンペで2位だったんですって。どおりで・・・。f:id:greenbirdchuro:20190521221620j:plain

 

議事堂側からブダ側を見ると、マーチャーシュ教会や漁夫の砦、その手前の改革派教会がキレイに見えましたが、マーチャーシュ教会の横に見えるヒルトンホテルの存在感が半端ない・・・さすがヒルトン。f:id:greenbirdchuro:20190521221608j:plain

 

ブダペスト観光はまだまだ続きます。

 

 

 

 

<