時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

旧王宮と錬金術師の暮らした黄金小道

 

一見すると地味に見えて、大聖堂の後だと通り過ぎてしまいそうな旧王宮は12世紀から16世紀まで歴代のボヘミア王が住んでいた場所です。中に入るといきなり見どころヴラディスラフホールがありました。花びら模様の美しいアーチ天井の吹き抜け空間とクラシックなシャンデリア。柱がなくても天井を支えることができる建築技術(交差リブヴォールト)のおかげで異様に開放的です。かつてヨーロッパ最大だったというホールは奥行き62m、幅16m、高さ13mもあり、ここで戴冠式や騎馬競技などが行われてたそうです。いくら広くても馬に乗るのは屋外にした方がいい気がしますが。f:id:greenbirdchuro:20190517133622j:plain

 

一度は火災で消失し、16世紀に再建された国会議場には、裁判所やチェコ国会が置かれていました。玉座を中心に貴族の席が並んでいます。f:id:greenbirdchuro:20190517143610j:image

 

旧王宮の歴史を語るうえで有名なのは30年戦争の引き金になった「プラハ窓外放出事件」です。カトリックだったオーストリアのハプスブルグ家によって厳しくなったプロテスタントへの締め付けを不服としたボヘミア貴族がハプスブルグ家の代理人だった政務官2人と書記を窓から放り投げた事件です。日本の建売住宅の2階から落ちたって大変なことになるのに、こんなに大きな王宮の2階から落とされるなんて・・・。f:id:greenbirdchuro:20190517133714j:plain

 

旧王宮の2階からの眺めたプラハはこれぞ百塔の街って感じで最高でしたけどね。f:id:greenbirdchuro:20190519000721j:plain


2階には、かつて土地台帳や公文書が保管されていた新国事録の間がありました。頂点にあるのがボヘミア家のライオンの紋章でその下に貴族や役人の紋章が描かれています。f:id:greenbirdchuro:20190517143117j:plain

そして、それが天井一面にも描かれていました。紋章の意味なんてわかんないけどなんだか萌えます。f:id:greenbirdchuro:20190517143114j:image ちなみに 旧王宮内は写真撮影にライセンス料の支払いが必要です

 

旧王宮を出て、東に向かうと聖イジー教会が見えてきました。濃いめのピンクがカワイイ外観ですが、10世紀(!!)に建てられたプラハ城内にある最古の教会なんだそうです。もちろん、火災や劣化による修復・増築はありましたが、諸々を経て17世紀頃に今の姿になりました。f:id:greenbirdchuro:20190517133845j:plain

 

聖堂内は聖ヴィート大聖堂とは全く違った雰囲気です。ロマネスク様式なので壁が厚く、ステンドグラスがない小さい窓なのに圧迫感はなく、むしろその黄色味がかった壁でなんだか心が温かくなって、気持ちが落ち着いてきます。f:id:greenbirdchuro:20190517133921j:plain 正面には聖歌隊席へと通じるバロック式階段と、その手前に聖イジー教会の創設者であるヴラティスラフ1世のお墓がありました。

 

天井に描かれたフレスコ画はそれなりの劣化具合ですが、それがかえって歴史を感じされ、かつ鮮やかな色彩がうかがえます。f:id:greenbirdchuro:20190517134339j:plain

 聖堂の側廊の壁も歴史を感じてぐっときます。f:id:greenbirdchuro:20190517134737j:plain

 

祭壇に天使の彫刻がたくさん飾られているバロック様式ヤン・ネポムツキー礼拝堂は華やかで、天井のフレスコ画がとてもやわらかくて美しいと思いました。すでにわたしもお馴染みのネポムツキーさんですが、頂けないのは、祭壇の天使が生首ってことですかね・・・。f:id:greenbirdchuro:20190517134627j:plain


聖イジー教会を出て、一番楽しみにしていた黄金小路に入りました。石畳の小道に沿って長屋のように連なった16軒の家が並んでいます。建物が予想以上に狭くて、小柄と言われるわたしでも狭苦しく感じました。 当時の人がわたしより小さかったってことはないでしょうから、かなり手狭だっと思います。f:id:greenbirdchuro:20190517134909j:plain

1階は博物館とお土産屋さんになっていました。ここは、おそらく薬とかハーブでもつくってたんだろうと思いますが、錬金術師という得体の知れない職業のイメージも相まって怪しさ満点です。f:id:greenbirdchuro:20190517135309j:plain

もっと怪しいのはココ ↓↓↓ f:id:greenbirdchuro:20190517135239j:plain明らかに拷問に使うものですよね!?見てるだけで体が痛くなってくる・・・。

家々の2階は武具博物館で、中世の槍や剣、甲冑などがずらりと並んでいました。f:id:greenbirdchuro:20190517135152j:plainf:id:greenbirdchuro:20190517135058j:plain

 

黄金小道って名前にワクワクして何があるの?ってテンション上がりましたが、もともとはプラハ城の召使いたちが住んでいた場所です。こんな誤解を招きかねない名前なのは・・・16世紀末のボヘミア王・ルドルフ2世が錬金術師を住まわせたからだとか、18世紀の大火で家を失なった金細工師たちが一時的にここに住んでいたからだとか言われていますが、本当の理由はわかりません。


黄金の小路の突き当たりにある家の階段を下っていくと中世に牢獄として使われていたダリボルカ塔にでます。騎士ダリボル氏の名前に由来していますが、ダリボルさん的には牢獄の名前になるなんて名誉でもなんでもない上に、看守さんじゃなくて最初に首を切られた囚人だったっていうから・・・何したか知らないけどかわいそう過ぎる。f:id:greenbirdchuro:20190517135418j:plain

何をした場所か知っているせいか気味悪くて、展示されている拷問道具をさっさと撮影して早々に退散しました。心なしかひんやりしてたんですよね、ココ。f:id:greenbirdchuro:20190517135423j:plain

 

ここからプラハ城の東門を抜けます。これから観光をスタートするために坂道を登ってくる人々とすれ違い、赤い屋根で埋め尽くされた街並みを眺めながら坂道をくだっていきました。f:id:greenbirdchuro:20190517153809j:plain


一国の首都としてはプラハは小規模な街ですが、その中にあってプラハ城の敷地は広く(広さでギネス認定されていますから)、色んな様式の建物が見れるのでお城の中を観光しているというより旧市街を街歩きしてる感覚でした。

 


 

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