モアイ製造工場と日本の技術力
イースター島南東部にあるラノ・ララク山はモアイの製造工場と呼ばれる石切り場。イースター島のすべてのモアイ像がここで作られたといっても過言ではありません。なだらかな山に生えているように見える黒い影の全てがモアイなんです!!
ラノ・ララク山には火山湖があり、そのすぐ傍まで作りかけ・運びかけのモアイがいっぱいでした。イースター島自体も海底火山の噴火で隆起してできた島で、ラノ・ララクは加工しやすい火山岩でできた山だったのでここでモアイが造られました。
ラノ・ララク山に残されている様々な状態のモアイ像の数はおよそ400体。
そう、いわゆる出荷待ちの在庫モアイがここだけで400体もあるんです!
モアイって1体じゃなかったんだ?なんかありがたみが薄れるね・・・とコメントした友達がいました。 まあ、そういう風に思う人もいるかもしれませんね。
山の中腹に走るトレイルを巡りながらモアイ見物しました。高さ4m、重さ12トンのモアイ像を造るのに、30人で1年半かかったという記録もありますから、こんなにたくさんのモアイ像を同時期に作っていたって考えると凄いことですよね。
運び出し中に放置されたモアイたちは、山肌の浸食で胸まで埋もれてしまっていました。まるで行き場を失くして途方に暮れているようにも見えます。
島中のモアイやその台座のアフはとても神聖なものなのであまり近くに行ったりできませんが、ここのモアイはすぐそばまで近寄れるのが魅力的でした。ただし、火山岩で造られていてもろいのでお触りは厳禁。
切り出し途中のモアイも見れました。モアイ像は仰向けの状態で顔と前面、側面が切り出され、最後に岩とつながっている背中の部分を切り離し、あらかじめ用意していた穴に立てて背面を仕上げたそうです。
モアイ像の生まれ故郷とも言えるラノ・ララク山は、切り出し中のモアイ、逆さのモアイ像、女性モアイ、笑顔のモアイ・・・と豊かなバリエーションの中から好みのモアイに出会える場所です。そこにたった一体だけある正座しているモアイ。
背中のそりやお尻の丸み、お尻の下に見える足の裏と後ろ姿も完全に正座。その丸顔も含め日本人としては親しみを感じる姿です。
ラノ・ララク山を歩いて行くと、ポイケ半島が見えてきました。その手前の海沿いに有名なアフトンガリキの15体のモアイが見えてきました。山から海までどうやってモアイを運んだかは諸説ありましたけど、わたしとしてはモアイが歩いて行った説を一押ししたいところ。
アフ・トンガリキは、イースター島最大の遺跡。かつて最大集落があった場所です。
入口付近に一体だけ直接立っているひとりぼっちのモアイ像・ホツイティはトラベリングモアイとして有名です。このモアイはピースボートに乗って日本にやって来て、しばらく滞在してたんだそうです。大阪万博に行った人はきっとその姿に見覚えがあるはず!
高さ5mを超えるモアイ像が15体も並ぶ姿はなんとも圧巻。でも、このアフ・ドンガリキのモアイ達、実はチリ大地震の際の大津波で倒れて、壊れてばらばらの状態だったものが修復・復元された過去があるんです。
修復・復元には55トン以上を持ち上げるクレーンが必要だったので事実上不可能とされていました。そこで一役かったのが日本の四国にある「タダノ」というクレーン会社さん!
ばらばらになったモアイやアフの破片を拾い集めて、古い写真を見ながら、ジグソーパズルのようにつなぎ合わせて元の姿に修復・復元されたのが1994年。右から2番目のモアイは頭上のプカオまできっち修復できていました。もちろん、他のモアイもプカオを頭に載せていたけど、粉々になっていたり、津波でさらわれてしまったりでこれが修復できる精一杯だったそうです。それでもお見事の一言に尽きます。
なぜ地球の反対側の(チリから一番遠い)国である日本の会社が修復を買って出たかというと・・・きっかけは「世界ふしぎ発見!」。イースター島が取り上げられた回で、黒柳徹子さんが「わたしたち(日本)がお手伝いできることがあれば・・・」とコメントされたのを見た「タダノ」の社員さんが会社に援助を提案し、この持ち出しが1億以上の無謀ともいえる事業を社長さんが了承したんですよ。ホント、スゴイ!
当時のチリの内政はモアイの修復どころではなかったみたいですが、日本は景気もそう悪くなかったんですね。
でもタダノのすごいところはそれだけではありません。持ち込んだクレーンでモアイを復元する傍ら、島の人々にクレーン操作を教育し、そのクレーンを贈答!めいっぱい役目を果たしたクレーンが動かなくなった後も後継機のクレーンを再び贈答!!
至れり尽くせりです。
日本人ってこと以外は何も関係ないわたしが、ツアーのみんなから尊敬の眼差しで見られるのも無理はありません。
イースター島の文化紹介としてあやとりを見せてくれたガイドさん。他の国の人は物珍しそうにその手さばきを見ていましたが、わたしにとっては忘れかけてはいるけど子供の頃馴染んだ遊び・・・イースター島の人々とわたしたち日本人は実は昔からどこかで繋がっているのかもしれません。
イースター島との深い縁を感じる1日でした。