時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

モアイ達の悲しい歴史

 

 

マタベリ国際空港の滑走路沿いの道を南側に出るとアフ・ビナプが見えてきます。f:id:greenbirdchuro:20190510103821j:plain

 

ここのアフ(モアイの台座)の石組みはその精巧さが際立っています。まったく隙間のない石組みはペルーで見たインカの遺跡そっくり。長くその関係性が調査されてきましたが、今でもその謎は解明されていないんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190510104055j:plain

 

ちなみにこの石柱は女性のモアイだったと言われています。モアイに性別があったことも驚きだけど、イースター島のモアイの1割は女性なんだそうです。たしかにちょっとつくりが華奢だし、よく見ると真ん中あたりに胸が掘ってありました。f:id:greenbirdchuro:20190510104220j:plain

 

プナ・パウは、モアイの頭に載せるプカオという岩の製造工場。f:id:greenbirdchuro:20190510095556j:plain


赤い石灰石から切り出されたプカオがごろんと転がっています。モアイの頭に載っているいる様子は帽子や髪飾りのように見えますが、長く伸ばした髪を結ったマゲだという説が有力で、これがのっているのは後期のモアイです。重いものだと10トン以上もあるそうです。10トンのマゲって・・・肩こりしそう。f:id:greenbirdchuro:20190510095632j:plain

 

内陸部の小高い場所にあるアフ・アキビには、海をみつめて立つ7体のモアイ像があります。f:id:greenbirdchuro:20190509153219j:image部族の力の象徴で守り神でもあったモアイは、海を背にして村を眺める位置に建てられるのが一般的だったので、海を眺めて立っているアフ・アキビのモアイはとても珍しいのだそうです。

 

なぜ、これだけが海を向いているのか・・・?この7体のモアイは伝説のホトゥ・マトゥア王の7人の使者で、王がやってきたヒバの国の方角を見つめているという説があります。ちなみに春分秋分の日の日没の方向でもあり、天文学的な意味を持って建てられたとも考えられているそうです。深い、実に深い。f:id:greenbirdchuro:20190509153234j:image

 

島のあちこちには人々が生活していた住居跡のボートハウスがありました。残っているのは土台だけですが、復元されたものを見ると、確かにボートをひっくり返した形そのものです。f:id:greenbirdchuro:20190509162246j:image

 

そのボートハウスの近くにあるこの石垣は、その名もチキンハウス=鶏小屋。実際に今でも沢山のニワトリが住んでいます。f:id:greenbirdchuro:20190509153418j:image

 

ニワトリが出入りする玄関口はとても小さく、まさか外敵もここに鶏が住んでいるとは思わない作りになってます。f:id:greenbirdchuro:20190509153256j:image

 

ガイドさんは野良ドリではないと言っていましたが、囲いもないし、誰かが餌をあげてる様子もありません。どう見てもニワトリが自活しているようにしか見えません。島の人にとって昔は貴重なタンパク源だった鶏や卵。今では完全に輸入に頼ってるらしい・・・となると益々、この鶏は誰が何の為に?となります。絶対野良ですよね??もしくは、観光客向けのプロの鶏?f:id:greenbirdchuro:20190510085917j:image

 

その周りには石垣で囲まれた畑に、お芋やサトウキビが栽培されていました。多分、これも野良イモ・野良キビ・・・あるいはプロイモ・プロキビだと思います。f:id:greenbirdchuro:20190510100432j:plain

 

 

島の南にあるアフ・アカハンガにやってきました。f:id:greenbirdchuro:20190510095856j:plain


ここは、とても切ない気持ちになる場所です。なぜならここのモアイ像の多くは無残にも倒されているんです・・・。f:id:greenbirdchuro:20190509153323j:image

 

大きな岩がゴロゴロと転がっていると思いきや、近づくとうつ伏せに倒れたモアイでした。島のあちこちで倒れているモアイを目にしますが、ここはまさに荒んだ雰囲気を感じて悲しい気持ちになりました。f:id:greenbirdchuro:20190510100016j:plain

 

ここのモアイが倒れているのは50年続いた部族間戦争(モアイ倒し戦争)が原因だとされています。

その経緯は・・・

モアイを作り運ぶために大量の木材が必要 → 伐採を繰り返す → 森林破壊 → 土地が痩せ衰える → 深刻な食糧不足 → 耕作地や漁場を巡る部族間闘争 → 敵の守り神モアイを倒す

モアイをうつ伏せに倒したのはモアイの目に霊力が宿るとされていたからです。うつ伏せに倒し、視野を封じた上で目を破壊してトドメを刺す。その繰り返し。目の入っているモアイは、タハイ儀式村で見た修復されたモアイだけ。あの目だって本物ではありません。本物の目はイースター島博物館で見れました。

 

 

モアイがもたらした悲しい歴史は戦争だけではありませんでした。モアイの製造過程で森林をなくした島では、家屋やカヌーなどのインフラ整備が止まり、ヨーロッパ人が島に到達したときは石器時代のような生活になっていました。島の人もこんな洞窟で暮らしていたそうです。f:id:greenbirdchuro:20190509153337j:image

 

 モアイ自体に罪はないとはいえ、モアイなしではこの切ない歴史はないわけで・・・そのモアイが今のこの島の観光業を支えているというのもなんとも皮肉な話です。穏やかな時間が流れる島の生活だけを見ると争い事など縁遠く見えて、俄かには信じられない悲しい話ですが、良くも悪くも今も昔もこの島はモアイなしでは成り立っていかないんですね・・・。

 


 

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