時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

ブラボー隊長と巨人の手首 in アントワープ

 

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今回、飛行機から降り立ったのはドイツのデュッセルドルフ国際空港。ここを選んだ理由は今回もいつもと同じ・・・安かったから!そこからまずは列車で15分弱のデュッセルドルフ駅へやってきました。駅の近くのバス停から最初の目的地へ向かいます。f:id:greenbirdchuro:20190609113905j:plain

 

バスで3時間弱、最初の目的地ベルギーのアントワープに到着しました。実はこの旅行は2016年4月。3月22日にベルギーのブリュッセルで空港とマールベーク駅を標的にした連続爆破テロがあったばかりでした。多数の死傷者を出したテロの直後、空港や駅にはいつにも増して緊張感のある重い警備が敷かれていて、日常を取り戻しつつある人々の表情も怒りと悲しみで曇っているように感じました。今回の旅程からベルギーを外すことも考えましたが、数日前に長らく運休となっていたデュッセルドルフからアントワープへの国際バスが再開したことを知り、恐る恐るながらアントワープに足を延ばしてみることにしました。

 

バス停近くのホテルにチェックインし、まずは街の雰囲気を味わうべく、カフェやショップが並ぶメール通りをアントワープ大聖堂に向かって歩いてみることにしました。遠目で見ると歴史を感じる重厚な建築物なのに近づくとあまりに軽い感じのショップが入っているのでびっくりさせられます。H&MとかZARAとか、日本のファストファッション代表のUNIQLOまで・・・。景観を損なうことなく新しいものと融合している様子に感心しきりです。

 

しばらく歩くとテニールス広場に出ました。バロック様式の建物を背景に堂々と立っているのはアントワープを代表する画家の1人ダフィット・テニールス2世の銅像です。スペインのプラド美術館やウィーンの美術史美術館などに作品が収められているので画家としての実力も折り紙付きの方ですが、特筆すべきはまさに華麗なる一族というべきエリート画家一家に生まれたことです。さらに結婚式の立会人がアントワープで最も有名な画家である巨匠ルーベンスだったというから、そのプレッシャーたるや凄かっただろうな・・・なんて凡人の余計なお世話ですかね。f:id:greenbirdchuro:20190609112038j:plain

 

さらに歩くと、フランドル画家のヴァン・ダイクの立像がありました。ヴァン・ダイクはルーベンスの元で学んだ後にロンドンで宮廷画家として活躍しました。立像が衣装も含めて優雅に見えたのは白い大理石でできているせいだけではなく、アンソニー・ヴァン・ダイク卿の称号のせいだったようです。f:id:greenbirdchuro:20190609112349j:plain

 

通り沿いにアントワープの名前と深い関係がある巨大な手首のモニュメントがあります。handwerpen(手を投げる)という言葉からきているアントワープの地名はある伝承に由来しています。

今から約2000年前、この地を流れるスヘルデ川(エスコー川)にはアンティゴーンという巨人がいて、川を通る船に多額の通行料を要求し、払わない船があると船長の手首を切り取って川に捨てていました。その悪行を聞いて巨人征伐にやって来たのは北ヨーロッパ遠征中のローマ軍隊長シルヴィウス・ブラボー。彼は格闘の末に巨人を倒し、切り取った巨人の右手を巨人がしてきたようにスヘルデ川へと投げ捨てました。それ以来、この町の名はhandwerpen(手を投げる)→アントワープとなったそうです。この手首はアンティゴーンのものなんですね。f:id:greenbirdchuro:20190609112249j:plain

 

メール通りを進むとグレン広場に出ました。18世紀には教会墓地だったというカフェやレストランが並ぶ賑やかな憩いの広場の中央にはバロック芸術の巨匠ルーベンス像があります。アントワープに大きな工房を持っていたバロック期のフランドル画家ピーテル・パウル・ルーベンスが数多くの名作を残してきたことはあまりに有名です。また彼は画家だけではなく、人文主義学者美術品収集家としての顔を持っていました。その才能や業績だけでもスゴイのに七ヶ国語を話す外交官だったというから驚きです。長く生きているとさすがの鈍いわたしま薄々は気がついてはいましたが、天は二物を与えずって完全にウソだって証明してくれてましたね。そのルーベンスの銅像の後ろにひときわ高くそびえているのは、彼の作品も収められているベルギー最大のゴシック建築アントワープ大聖堂です。f:id:greenbirdchuro:20190609112359j:plain

 

街の守護聖人である聖母マリアに捧げられたアントワープ大聖堂は、着工から約170年の歳月をかけ1521年に完成しました。塔の高さは123m、47個の鐘で構成されたカリヨンはベルギーとフランスの鐘楼群として世界遺産登録されています。f:id:greenbirdchuro:20190609112048j:plainこの大聖堂が、世紀を超えて最も泣けるアニメの名作「フランダースの犬」最終回の舞台であることは結構有名な話です。結末を知って見ているのに何度見ても泣けてくるあのシーン、「一度は見たい」と願ったルーベンスの絵をようやく見ることができたネロが愛するパトラッシュと一緒に天に召されて行くあのシーンです。そして、ネロの憧れたルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」は今でもこの大聖堂内に飾られています

 

大聖堂は開いていない時間帯なのでしばらく周囲を散策してみます。

大聖堂の西側にはギルドハウスに囲まれたグローテ・マルクトがあります。どうしても大聖堂の荘厳な装飾を伴った高い塔が目に入ってしまいますね。f:id:greenbirdchuro:20190609114545j:plain

 

中央にはブラボーの噴水があり、その後ろにはアントワープ市庁舎が建っています。当初はゴシック様式の市庁舎を予定していたものの、戦争による建材不足で頓挫し、20年も工事が中断しました。予定とは違ったルネッサンス様式になりましたが、とても華麗でステキな市庁舎だと思います。f:id:greenbirdchuro:20190609114425j:plain

 

池も囲いもない噴水の像は巨大な手首を投げようとしているブラボーの像です。アントワープの地名は、巨人を成敗したブラボー隊長の活躍に由来しているという言い伝え。ふ〜ん、納得と言いたいところですが、もちろん作り話ですよ。なぜ作り話が伝承されるようになったのでしょうか?そこには当時の統治者の思惑がありました。世界最大の商業都市として繁栄していたアントワープを統治していたのはカール5世。伝承本の系譜では彼の祖先はこのブラボー隊長ということになっていました。このブラボー隊長、実はジュリアス・シーザーの甥だったのです。つまりカール5世は自分がシーザーの血を引く由緒ある家の出であるかのように見せたかったんですね。なるほど、よっぽど出自にコンプレックスがあるのかな?と思ったら・・・おやおや、カール5世はヨーロッパ各国の王族の血を引く超サラブレッドで「~国の人」と言い切るのは難しいくらいのお方!わたしの勝手な推測ですが・・・カルロス5世はどこの出身とも言えないサラブレッド過ぎる血筋のせいでアイデンティティの確立に苦しんだのかも・・・。もしくは、シーザーとどうしても親戚になりたかった?f:id:greenbirdchuro:20190609114429j:plainちなみに、アントワープの人々はこの伝承を信じていたようで、スヘルデ川の工事で大きな動物の骨が発見された時は「とうとう巨人の骨が発見された」と大騒ぎになったそうです。実際は鯨の骨だったんですけどね。それより、ブラボー隊長はなぜ全裸なんでしょうか・・・。どうでもいいことだけど、すごく気になります。

 

さて、大聖堂に足を踏み入れてみます。

フランドルの祭壇画

フランドルの祭壇画

 

 

 

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