時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

コルドバ歴史地区 後編(メスキータからローマ橋)

メスキータ最大の見所の1つは、アルハカーム2世の命で作られた豪華なミフラーブです。金色や青色のモザイク装飾が施された馬蹄型アーチの周囲にはぐるりとコーランの一節が刻まれています。モザイクでできているとは信じ難いような美しく緻密な装飾は、どれほど眺めていても飽きることがありません。世界中のイスラム教徒はサウジアラビアのメッカにあるカアバ神殿の方向に向かって1日5回の礼拝を行いますが、その方角(キブラ)を示すのが、モスクの壁に作られたミフラーブという聖なる窪みです。偶像崇拝を禁じられたイスラム教では方向を示す目印にも像や絵画といったシンボルになりかねないものを用いることができません。草花や幾何学模様の美しいモチーフが用いられることが多いミフラーブは、イスラム美術の数少ない見せどころとなっています。その証拠に、カリフはこのミフラーブのためにビザンチンスタイルのモザイク職人を呼び寄せたそうですから。f:id:greenbirdchuro:20190811221219j:plain

 

ミフラーブの前のマスクラと呼ばれるスペースはミフラーブを強調する目的で造られています。高さのある八角形のドーム型天井には、ミフラーブと同じように草花の装飾やコーランの美しいビザンチン装飾が隙間なくびっしりと施されています。天井部分の貝殻のような構造は、ミフラーブの前で礼拝を先導するイマームの声が後ろの方まで届くように音響効果を考慮して設計されているそうです。この高い天井には明かり取りの役割もあるようで、窓から差し込む自然光がマスクラを淡く照らしていました。(ほぼ)無神論者のわたしでも跪いて祈りたくなる神秘的な空間です。f:id:greenbirdchuro:20190811214535j:plain


ミフラーブの隣にあるテレサ礼拝堂は聖具室(宝物室)として利用されていました。まず目をひくのは、中央に展示された金銀煌びやかな聖体顕示台です。毎年6月に行われる聖体祭で担がれるものだそうです。八角形の部屋の壁には聖テレサを含む聖人が描かれた絵画や宗教画が飾られていました。1つ1つが祭壇に据えられていてもおかしくないシンボル性のある美術品で、それらが並ぶ豪華な雰囲気はいかにもカトリックという感じがします。f:id:greenbirdchuro:20190811215131j:plainf:id:greenbirdchuro:20190811214841j:plain

 

柵で仕切られていたので中には入れませんでしたが、メスキータの東端角にはサグラリオ小教区教会がありました。壁一面には隙間なくフレスコ画が描かれていますが、よく見るとモスクの2重アーチを塗り直しているのは明らかです。美しいか美しくないかと問われれば美しい部類に入りますが、包装紙の模様のような派手な装飾は「ちょっとやりすぎ」な気がします。f:id:greenbirdchuro:20190811212039j:plainf:id:greenbirdchuro:20190811212058j:plain

 

中央礼拝堂(マヨール礼拝堂)は、メスキータのちょうど中心付近にあります。メスキータの礼拝空間の中央に巨大なキリスト教のカテドラルを建てる計画を打ち出した大司教マンリケは、王室代理官から「破壊しようとしているものは2度と同じような熱意と完璧さで造ることの出来ないものである」と通告を受けます。メスキータの歴史的・芸術的価値を理解していたコルドバ市民も取り壊しに猛反対しました。しかし、諦めきれないマンリケは王室代理官を破門した上で当時の国王カルロス1世から工事の許可を取り付けるという裏技を使いました。f:id:greenbirdchuro:20190811211409j:plain 

16世紀に着工した工事は何回も中断を余儀なくされ、完成まで250年もの月日を要しました。立派な祭壇のある豪華絢爛な礼拝堂やパイプオルガンを備えた重厚感ある聖歌隊席の建造には非常に長い年月が掛かったために、その建築様式はゴシック・ルネサンスバロックが混在したものになっています。礼拝の間にもともと1056本もあった2重アーチの円柱もカテドラルを建立のために取り壊されてしまい、現在は850本になってしまっています。

 

建物や装飾を保護するために敢えて薄暗くしてあるメスキータと違って、明かり取りの窓が多く設けられたカテドラルのスペースには豊富な自然光が差し込んでいて、同じ建物の中とは思えないくらい明るい雰囲気です。コルドバ近郊で採掘してされた紅大理石の使われた大祭壇には、中央上部に掲げられた聖母被昇天を初めとするバロックの巨匠パロミーノの絵画が飾られています。ゴシックからルネッサンスの過渡期に製作された内陣の天井はレース編みのような細かな装飾が施されていました。f:id:greenbirdchuro:20190811211421j:plain

 

漆喰でできた中央礼拝堂の天蓋は、イタリアの影響を受けたバロック様式です。楕円形の天蓋の淵にそって明り取りの窓が付いています。f:id:greenbirdchuro:20190811212528j:plain

 

中央礼拝堂の向かい側には聖歌隊がありました。繊細な彫刻が施されたマホガニー材の椅子にぐるりと囲まれた荘厳な空間の中央にもまた立派な彫刻が施された司教席があります。白い壁に金をあしらった天井や壁の細かな装飾がとても上品です。f:id:greenbirdchuro:20190811215430j:plain

 

外陣にあたる聖歌隊席の天井の漆喰装飾の中には聖人像が施されています。f:id:greenbirdchuro:20190811223213j:plain

 

聖歌隊席の左右に設置された大きなパイプオルガンもカテドラルの名にふさわしい重厚感のあるものでした。f:id:greenbirdchuro:20190811211428j:plain

 

1526年にコルドバを訪れて、初めてメスキータを見たカルロス1世は「メスキータがこのようなものだと知っていればカテドラルの建築許可を出さなかっただろう。カテドラルはどこにでも造れるが、壊してしまったメスキータは世界にふたつとないものだ。」とメスキータを見もせずに安易に取り壊し許可を出したことを悔いた発言を残したそうです。

 

長い年月をかけて建築したカテドラルが立派なのは当然のことですが、どこにでもあると言われれば確かにヨーロッパのどこかにはありそうな感じがします。歴史的価値の高いモスクの中にあえて凡庸な(?)カテドラルを建立する必要があったのか?という疑問を抱いたのは、カルロス1世だけだったとは思えません。結果として「モスクの中にあるキリスト教会」という世界で類を見ない特異な空間が出来上がり、メスキータにはまた違った歴史的価値が生まれることになったのです。1984年には世界遺産登録されたことで少しは報われたのではないでしょうか。

 

メスキータを出て、グアダルキビル川に向かってトリホス通りを歩くとトリウンフォ広場の西側にバロック様式の台座の上にそびえる聖ラファエルの勝利塔が見えてきました。中世に流行したペストで命を落とした人々への慰霊のためにフランス人彫刻家ミゲル・ベルディギエルが1765年から16年をかけて建造したものです。どうやら打ち勝った相手とはペストのことだったようです。f:id:greenbirdchuro:20190811184036j:plain

 

トリウンフォ(勝利)広場の真ん中にはプエンテ門がそびえていました。ローマ時代には「ローマ門」、ムーア時代には「イスラムの門」があった由緒ある場所で、イスラム支配下時代には城壁の一部でした。外観にイスラム建築らしさが感じられませんが、これは1571年に、フェリペ2世の命でルネッサンス様式の凱旋門に改築されたためです。門の向こうにはグアダルキビル川の対岸に続くローマ橋が見えています。f:id:greenbirdchuro:20190811183521j:plain

 

ローマ橋側から見たプエンテ門です。かつての城壁の面影は全くありませんが、ドリス式の円柱がとても太く、コンパクトながらがっしりとした造りになっています。上部には戦士を象った美しいレリーフが施されています。プエンテ門の後方に見えるアーチ・バルコニーの3階建ての建物がメスキータ南壁です。
f:id:greenbirdchuro:20190811183527j:plain

 

16基のアーチで支えられた全長230mのローマ橋はなかなかの壮観です。初代ローマ橋が架けられたのは、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの治世でした。この橋を土台にしてイスラム教徒が築いた橋は、戦闘による破壊と改築の繰り返しで、土台だけしか残っていません。16世紀にキリスト教徒によって改修された部分がほとんどです。f:id:greenbirdchuro:20190811183530j:plain

 

橋が流線形を描いているのがわかります。もともと水量豊富なグアダルキビル川が雨で増水すると橋脚に負担がかかるため、それに耐えうるようにアーチを支える橋脚は流線型に設計されているんだそうです。f:id:greenbirdchuro:20190811183834j:plain

 

ローマ橋の対岸からは、メスキータの全景を見ることができます。アンダルシアの青空にえんじがかった建物がとても映えています。それにしても遠くからみてもモスクなんだかカテドラルなんだか益々わかりにくい外観ですね。f:id:greenbirdchuro:20190811183858j:plainf:id:greenbirdchuro:20190811183928j:plain


橋のたもとに建つのはムーア人の言葉で自由の城を意味するカラオーラの塔です。コルドバ市民が、モーロ時代からあった小さな砦を1369年に拡張したもので、橋と街のための防衛施設でした。かつては、ここを通らなければ橋の上に出られない構造になっていたそうです。カラオーラの塔は、メスキータやアルカサルと共に「コルドバ歴史地区」として世界文化遺産に認定され、現在は歴史博物館として利用されています。f:id:greenbirdchuro:20190811183801j:plain

 

「西方の真珠」と呼ばれたほど栄えたコルドバ。アンダルシアらしい澄んだ青空の下で、今でも美しい街並みは健在です。

 

 

 

<