各国首脳が歩いた歴史の舞台バンドン
最終日、ホテルからタクシーでムルデカ(モナス)広場の東側にあるガンビル駅にやってきました。ジャワ島の主要都市を結ぶターミナル駅の割にはちょっと不便な場所です。その証拠が駅前に並ぶタクシーの列。
前日にコタ駅で買っておいた切符でジャカルタの東南200kmに位置するバンドンという街に向かいます。ここから3時間の列車旅です。
途中でスコールに降られながら、東南アジアらしい景色の中を抜けて列車は進みます。
列車は約3時間で定刻通りバンドンに到着しました。日本では知名度の低いバンドンですが、約250万人もの人が暮らすジャカルタ・スラバヤに続くインドネシア第3位の都市です。市街地の標高は700m前後と高めで熱帯地方なのにエアコンを使わずに過ごすことが出来る快適な気候。そのため国内外から観光客が押し寄せるリゾート地としても知られています。もちろん、日中の平均気温は30度くらいありますが、湿気がない分、日本の30度とは比べものにならない快適さです。さらに、周辺にあるアウトレットモールでショッピングも楽しめる・・・日本の軽井沢みたいなところですね。
歩道橋から見たバンドン駅です。
駅から南に歩くとグランドモスクの白いタワーが見えてきました。周囲は礼拝に訪れたイスラム教徒でいっぱいです。1810年の建造以降、改装を重ねてきたグランドモスクは古いスンダ様式から新しいアラブ様式のモスクに生まれ変わって西ジャワ州の中心的モスクになりました。81mの有料展望台ではバンドンのパノラマを楽しむことができますが、13000人を収容することができる礼拝所にはイスラム教徒以外は入れません。個人的にはスンダ様式のモスクがどんなものか外観だけでも見てみたかったです。
植民地時代のバンドンは政治・経済・文化の中心地で、快適な住環境もあって、多くの外国人が暮らしていたようです。オランダ人からは「ジャワのパリ」、インドネシア人からは「花の街」と呼ばれていたそうなのできっと美しい街だったのでしょう。残念ながら、過剰な開発と人口集中がこの街の姿を変えてしまったようでで、現在のバンドンにはあまりその面影は残っていません。街を流れる川も浮遊ごみでいっぱい。
リゾート地バンドンにわざわざ日帰りでやってきたのは、ジャカルタに見るものが少なかったからというな理由だけではなく、博物館として開放されているアジアアフリカ会議(バンドン会議)の会議場が見学できるからです。
社会の教科書で習った覚えのあるアジア・アフリカ会議は第二次世界大戦から約10年たった1955年にこの地で開かれました。集まったのは、インドネシアのスカルノ大統領、中華人民共和国の周恩来首相、インドのネルー首相、そしてエジプトのナセル大統領を中心としたアジア・アフリカの29か国のトップの皆さん。その多くは第2次世界大戦後に欧米諸国の植民地支配から独立した国々でした。議論を重ねて出来上がったのは、平和5原則を基にした平和10原則(バンドン10原則)。
会議の開かれたムルデカ会館は、アジア・アフリカ会議博物館となっていました。オランダ植民地時代の1895年にカフェとして建てられ、オランダ軍将校らの社交場や日本軍の大東亜会館としても利用されたことのある歴史ある建物です。午後2時の開館を待って博物館にはいると各国の国旗を背にした代表者たちのリアルな蝋人形が出迎えてくれます。教科書でしかお会いしたことのない面々ですが、蝋人形の出来ばえはなかなかのものです。
当然ながらこのBDN29のセンターはインドネシアのスカルノ大統領。スカルノ大統領はバンドン工科大学の出身で学生時代をこのバンドンで過ごしました。
このパネルは、各国首脳が宿泊先のサボイ・ホテルから会議の開かれたムルデカ会館まで歩く姿です。遠く離れた大阪で開催中のG20のせいで自販機が使えない時代に生きているわたしにはとうてい信じられません。なんとも平和的でとても素敵な光景です。
バンドン会議参加者名簿や各国首相のプロフィール等が飾られていました。日本は政府内では参加を見送る声もあったため、総理大臣でも外務大臣でもなくて、官僚が代理で出席したようです。「日本が大きな犠牲を払った勇戦のおかげで今日のアジアがあり、独立を祝うこの会議が開催できた」ととても歓迎されたとか。外交に社交辞令はつきものでしょうが、当時の事情を知らないわたしには、首相が無理でも大臣クラスを送らなかった日本は礼を欠いたのではないかと思えてしまいます。
各国首脳人の中で断トツにクールに見えたインドのネール首相の思慮深い横顔。パネルなのにオーラがビシビシと伝わってきました。
当時の新聞にも大々的に取り上げられました。
当時使用されたレミントン社製のタイプライターです。このタイプライターで平和10原則が書き上げらえたのかと思うとなんとも感慨深いですね。
それほど広い博物館ではないですが、第2次世界大戦のパネル、平和10原則を各国語で記載したボード、バンドンの記念コインといったここでしか見られない貴重な展示物を見ることができました。
実際にバンドン会議が開催された会議室です。各国の国旗がずらっと並んでいますが、右手に飾られた平和の銅鑼にアジア・アフリカ各国の国旗が描かれていたのが、なんともインドネシアらしいと思いました。
継続的な開催が予定されていたアジア・アフリカ会議でしたが、各国間の諸事情が重なり(中国とインドの国境紛争とかスカルノ大統領失脚とかナセル大統領のアラブ連合形成失敗とか・・・)第2回が開催されることなく長い年月が経過してしまいました。50年経った2005年にバンドン会議50周年記念会議が開催され、記憶に新しいのは安倍首相も出席した2015年開催の60周年記念会議です。
公式行事の関係で休館していた バンドンの国立博物館。とても立派な外観で期待値も高かったのに入れなくて残念。
博物館に入れなくて、代わりに向かったのは駅から5㎞ほど南の郊外にあるアウトレットモール(Rumah Mode Factory Outlet)です。激安だったけど、偽物も堂々と売っていたし、ワゴンセールみたいな売り方だったので、自分にあったサイズを探して真偽を確かめる作業が大変で・・・買うことは諦めました。
わたしはリゾートでのんびりという過ごし方が得意ではないので、日帰りでジャカルタに戻りましたが、市内観光だけなら日帰りで十分だと思います。もし、街の周囲を囲む2000m級の山々のトレッキングや自然を楽しんだりするなら数日の滞在もありです。
インドネシアの締めくくりはグルメで。正直に言っちゃうと、インドネシアの料理はあまり口に合わなかった・・・。
ジョグジャカルタの伝統料理ナシグドゥッは若いジャックフルーツを細かく刻んで、ココナッツミルクとパームシュガーで煮込んだグドゥッに白米を添えたものです。加えられた色々な香辛料のひとつチークの葉がカレー色のもと。それなのにとても甘いので、どうしても視覚と味覚が一致しません。鶏肉、茹で卵、豆腐、テンペなどと一緒に食べますが、言葉がわからず適当に頼んだら苦手な鶏足が入っていて撃沈しました。
現地人との味覚の違いを痛感したので、外国人の多く訪れる店に行って食べた鶏肉のカレー煮込みです。ココナッツは入っていますが、見た目通りのカレー味で、特に癖もなくて普通に美味しかったので、 何度かリピーターしました。
東南アジア版の炒飯ナシゴレンはもうお馴染みです。サンバルが多めですが、日本で食べるものとそう変わりません。片面焼の目玉焼きとクルプック(揚げせんべい)、生のキュウリとトマトが添えられたオーソドックスなものでした。ちょっと良いお店だったのでサテまで付いてたお得なプレートになってました。
インドネシアと言えばブラックタイガー。シンプルなグリルで間違いなし。
左上は、温野菜やタフゴレン(厚揚げ豆腐)をプチェルというピーナッツソースであえて作るサラダで、 ガドガド(ごちゃ混ぜ)という名前の料理です。右上は、ライスにミーゴレンやフライドチキンが添えられたミックスプレートみたいなもの。そして、大量のサテ。中東のケバブが元になっているというサテは串に刺した肉を炭火で焼いたもので、色々な動物の肉がありましたが、主にチキンのサテアヤムと牛肉のサテサピ、豚肉のサテバビを頂きました。ここのものはピーナッツソースであらかじめ味付けしてあり、好きな甘さでした。
食べ物が合わなかったけど、素晴らしい遺跡があるのでいつかリピートありの予感。
さよならインドネシア・・・。
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